司馬宙/しばちゅう (@shibachu0120) 's Twitter Profile
司馬宙/しばちゅう

@shibachu0120

Artist / Filmmaker /第3回ホラー映画大賞 株式会社闇賞 / TAAP(Tokyo Artist Accelerator Program)2期生

ID: 1951116343706791936

calendar_today01-08-2025 03:02:46

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中島 智 (@nakashima001) 's Twitter Profile Photo

つくづく自分が美術系の人間なんだなと痛感させられるのは、アンドレイ・タルコフスキー映画でのモノの扱いに苛立ってしまう事。紙屑がどうありたいか、水がどう流れたいのかを凝視してしまう。彼の画面においてそれらはゴミ記号、水記号なので、浮ついて戸惑ったままでいて〈そのモノ〉がそこにはない

euske oiwa|大岩雄典 (@rovinata_) 's Twitter Profile Photo

いぬせな山本さんが批評(の文芸としての形式)を「テクスト外のことをテクスト内の問題として扱う」と特徴づけ(本人の投稿が見つからず正確でないかもしれないが大体こう)、その中に〈私〉も含まれると言っていて、面白い定義だと思うと同時に、

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沖田さん、先日はありがとうございました! 「こんな現場に入りたい」というお言葉、本当に監督冥利に尽きます…!ありがとうございます🙏 仕上がり、是非ともご期待ください!

藤村隆史 (@lryyphagonesg67) 's Twitter Profile Photo

蓮實重彦が書いているように、映画は視線の交わりを撮ることができない。よって、つなぎ間違いもないってこと。基本的に間違っているのが映画だから。要は、断念の元に撮られている映画と、そうでなく、映画は万能だとして撮られている映画との違い。できないことの映画とは映画の映画のこと。

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『CURE』久しぶりに見たけどやっなり面白いな。断絶の映画。記憶喪失の映画。それゆえに映画の映画。水が自分の顔を知らないように、男は自分の顔を知らない。主体を形成できない男の狂気が、液体となって世界に放出される。

仲山ひふみ Hifumi NAKAYAMA (@sensualempire) 's Twitter Profile Photo

批評の本質(本質の本質の本質の本質の本質の本質ぐらいの話、つまり五百周ぐらい回った話なので、以下素人はリプライ禁止)は、思考の圧縮だと思う。したがってnoteで発表された批評文は、字間・行間が広いというただそれだけのエディトリアル的理由により、批評として機能しえないことが自明である。

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タモリ面白いか面白くないか論争に関しては、「面白いかどうかは人それぞれだろ」という感想しかないのよなあ。

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でも、タモリ倶楽部もそうだけど、タモリの面白さというのは、「面白いかどうかわからないことに面白さを見出す」という「面白さ」の定義そのものを面白がるという部分がある。その点、「タモリがなぜ面白いのかわからない」という言説はある意味正当だとも言えるし実は松本人志にも近い実践だと思う。

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あと、やっぱりタモリのコアにあるのは、ハナモゲラに代表されるような「ナンセンス」だよね。「ナンセンス」というのは、単に「無意味」というわけではなく、そこからいくらでも意味を発掘できるということでもある。このナンセンスさが、タモリを「みんなが何かを言いたくなる人」にしていると思う。