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藤村隆史

@lryyphagonesg67

映画評論サイト映画研究塾
filmcriticism.site を主催。
S660、料理、、、

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calendar_today02-08-2022 12:38:26

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同情失くして一瞬たりとも見られた代物ではない。まぁ、よくやるよね、、ああいう人たちって。自分たちが生きていくために映画を殺すことなんてなんでもないんだろうね。というか、そもそも映画を殺していることに気づいてないんだろうけど。

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素直になること。これが私のやっていることのすべて。肩書にものを言わせて威張り散らすのではなく素直に映画を見てそれを言葉にして眺めてみる。そうすると映画を通して自分が見えてくる。映画と自分とのせめぎ合い、繰り返し。生きることそのもの。映画にはそういう力がある。

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例えばね、、ここでケリー・マクギリスがポルシェでトム・クルーズを追いかけてゆく最初のショット。ここで彼女の髪が風に揺れているよね。後ろからのショット。これはね、そうしようとしてそう撮られているわけね。意図的にそうして撮られている。これが映画。

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映画って不自由なもんだから。そうとしか言いようがない。不自由なものだから、ああやって髪を風に揺らすしかない。そういうもんなんだよね。寝る。お疲れさん。

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ひとと違うことをしようとする人間ってのは基本的に2流だよ。ゴダールが生涯かけて、そんなものはないんだって、映画を撮り続けたけど、どうもそういうことがわかってないのが多くてね。才能バカ、、ってやつ。

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才能だけで訓練をしない。ここんとこ二番館に書いたのはみんなこれ。才能しかない。違うことをしようとする。驚かせようとする。大谷はひとと違うことをしようとして二刀流やってるわけではないよね。アートの世界ってのは何割何分何厘って数字が出ないからこういう輩が極めて多い。

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それを同類のバカ批評家が鬼才だの衝撃だのと褒めたたえる。そんなもんだよ。数字の出ないインテリの世界はね。ハートがない。徒党を組む。バカがバカを褒め合って飯を食う。

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インテリが批評家適格を担って以来批評は誠実さを失った。知識で解けるアートならそんなもんはアートではないという簡単な事実から逃げ続ける知識バカが批評家になるシステムが未だに続いている。

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彼らのすることは決まってる。徒党を組んでベストテンを出しやばいことはみんなで無視をする。そんなのがひとさまを批評している。日本もフランスもイギリスも変わりはない。おんなじ。インテリってのはそういう人種なんだよ。

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私が付き合った人たちってのはみんな横から目線でユーモアがあった。どこかで自分の書いていることは間違っているはずだという前提があった。だから付き合えた。彼らの誰一人として映画評論家として飯を食っていない。そんなもんなんだよね。

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お前だけは批評を書くなという輩に限って批評で飯を食っている。そんなもんだね。数字という証拠の出ない世界で人はあられもなく下品になれる。寝る。論文は2.28。お疲れさん。

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あと一週間。グリフィスを出したのが去年の9月だから、、5か月。すぐ出せると思ってたけど、、ま、甘いよね。で、、出したら今度は英語版で行こうかなって、、日本で20年やったから。そろそろ外に出ようかなって。

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英語はさっぱりだし、AIの翻訳で行こうかなって。専門用語とかが難関なんだけど、ま、なんとかね、、慣れるまで時間はかかるだろうけど、とにかく出したいんで。日本ではもう十分やったしね。自分を追い込みたい。

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ワイズマン見てると、、会話するシーンなんかは音声がずっと持続していて映像が切り返されたりする。映像はカットできても音声はカットできない。これでひとつの論文が書けそうなテーマだけど、音声(ことば)と映像の関係を考えるうえで面白い細部ではあるよね。音声中心主義ではないにしてもね。

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話は戻るけど、、例えば原初的音声空間の切り返し、とかをグーグルの翻訳に入れてみるとSwitching between primordial audio spaces、、とかになる。これでは多分ダメなんだろうと思うんだけど、、どうダメなのかはわからない。こんな状態で始めようってわけなんで。冒険だよね。やっちまえって。

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話は変わるけど、、映画は90分で物語を語るメディア→1ショットでその人間性を現さなければならない→常習犯を撮る、、ということになる。映画というメディアから逆算すれば常習犯を撮るしかない。メロドラマは「初犯」を撮るから長くなるわけね。

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「リオ・ブラボー(RIO BRAVO)」(1958)のジョン・ウェインとか見てると、ああ、この人は365日こんな人なんだなって、感じるよね。それがスター。スターって常習犯のことなんだよね。演技するな、、ってグリフィスがリリアン・ギッシュに言ったのもすべてはそういうこと。

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ワイズマンにしても小川伸介にしても、モーションピクチャーの不思議さってのはフィクションから来るわけで。人がキャメラを何かに向けた瞬間、逆因果関係になる。物語から逸脱する。そこから批評が始まる。寝る。ちょっと飲んでね。お疲れさん。