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Howa

@howa_active

趣味で文芸をやってます。声を出さず文字だけで生きる人。お話を書いたり、体の動かし方を研究すること、色んなことをとつとつと考えるのが趣味です。声でやるお芝居の台本を書いたりもしています。

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calendar_today01-01-2021 05:28:42

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リメイクを見て「やっぱオリジナル」と浸る思い出補正は、二作品の上下ではなく作品に触れても己が身が震えにくくなってしまった故と捉える。 家具の置かれた部屋は何もなかった部屋のようにはもう音が響かない。未知を受け止める余白を失ったことへの郷愁。無防備で実相の前に立てないことへの寂寞。

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知識があっても知識のあるバカにしかならない。 一つ物を知れば、物の見方が一つ狭くなる。 リンゴを知ればそれをリンゴという概念で見てしまう。 重要なのは見方考え方より先に在り方を変えることで、それは稽古で変えるのは難しい。 在り方は稽古と言う余所行きではなく実生活の中での態度だからだ。

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最近は稽古生さん達に「作品を所有しないこと」を教えています。 本当に大切なものは所有できないというか、子は親の、自分は恋人の所有物ではないように、生きているならそれは生命であれ作品であれ誰にも所有できない筈なので。 作品を守ることとは別の話ですよ。作品に食わせてもらうのは良いかと。

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教えてるのは文芸ではあるけれど、それにしても「整えようとする呪い」の影響の根強さを感じる。 「そうせねばならない」と厳しく言われジャッジされ続けてきたのだろう。 その呪いを解かないことには何を教えても作品制作を「自身が評価される為のもの」という認識を抱き続ける。文芸だけに非ず。

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強みを知るのも一長一短である。 長所を認識し再現性を上げる。技術として確立されたそれは状況次第で誰しもが扱えるツールと化す。 本来オリジナルだったものが流通可能なアプリに帰す。 教え広めていくには最適な道だ。 だがより高め深めるには時に弊害もある。 個性は本来一般的な言葉で語れない。

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それが本当に唯一無二であれば、既存の言葉で語ることもカテゴリーに入れることもできない筈、なので。

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作品や表現を"良い"と言われ我が事として喜ぶのは自己実現の領域にある創作主体であろう。 その先の未明領域には我とは異なる主体が作品を創り起こす場があり、そこで作品や表現を"良い"と言われてもそれは「まるで我が事のように(≠我が事)」しか喜べない。手柄は手足の先に在る。

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論点というのも危うい視座だなと思う。 そのズレを指摘する中に「わかってもらえない寂しさ」を募らせているのではないか、という。 その問題は「わかってもらうこと」でも「わからせること」でも解決できず、同じ言葉を違う理解で使う他者と出逢うことなのだが論点で統合する視野ではそれが見えない。

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礼儀正しいのはよいと思うし、ないよりはずっといい。 とはいえ礼儀正しいから偉い訳でもないし、礼儀のなっていない者を叩いているとすると自分の礼節依存を一度疑うことになる。 「何者でもない自分」が「目の前の相手」と付き合うことの主眼から逃れる為の隠れ蓑ではないのだから礼節は。

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聡いが故にすぐに言葉で答えを出せてしまうからこそ言葉の先に在るものが見えない人に有名な名言を見せ、それを言葉として受け取らせない稽古をした。 その言葉がその人のどんな人生の、どんな疼き、どんな昂ぶりから発しているのかを想いなさい、と。 知るべきはその人の価値観ではなく身体観である。

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赤い花が今すぐ青い花にはならない。 青く塗ったところでガワであるし、青い花を買って来たとて自らが赤いことは変わっていない。 赤い花を散らし、環境変化の圧に耐え、長い時間をかけた末、ある日突然変異するのである。 今日青くなろうとするのは成長ではなく虚飾か欺瞞なのである。

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それまで自分だと思っていたものが外界との間を隔てる非常に小さな小さな、閉じた壁でしかないというのはその殻の中に居るときはわからないもので、だからこそ外側から語りかける存在が必要になる。 指導とは「あぁせいこうせい」ではなく「私はここに居るからね」と伝える音信のようなものだ。

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審美眼には自信があるとプロフィールに書いている方がおられた。 嘘であろう(ご本人はそう思っていることと思うが)。 美を観ることに開かれている眼があるなら、自分を何者か(この場合は審美能力を持つ者)として語り膨らます空虚さが視える筈だからだ。 美に審らかにされるのは我々のほうだ。

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あなたを通じて作品がこの世に仮初の形を為したこと。 それを共に喜びたいのですね。 その作品があなたの価値や自己肯定を高めることには関与しないというか、それは制作を介さずとも既に立証されているというか。 「何もしていない自分の凄さ」をもっと知ってほしいですね。

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初めての海に怖がっている子があった。 素晴らしく身体が世界に開かれていた。 「海だよ、怖くないよ」 と言葉で制御できるほど、身体の生の反応は目の前の未知をそう簡単に受け入れはしない。 願うことなら毎回、海に慣れず「この海は、今日の海はどうなんだ」と、そんな視点に立ちたい。

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投げ打てる私財などは今はないのだが、それでも毎回毎回、稽古の度に命程度は投げ打っている心算ではある。 いつも毎回、これで今生最後だと思って語り過ぎてしまうきらいはあるのだが。 なかなかスマートにはならないものだ。

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喋るのが得意じゃないからという理由で人から語ることを奪ったのはどこの有象なのだ。 喋ることを意志の明瞭な伝達のみに限定した無象は誰なのだ。 語れないことを聴き取る耳さえ持たず「喋るのが苦手」と相手に思わせた阿呆は誰なのだ。私なのか?私もそれに加担したことがいや、きっとあるのだろう。

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私が知るうちで"私の価値観"と呼べるものは極僅かで残り膨大なそれは誰かからの借り物であり、誰かが私にそうあれとかけた願いであり支配である。お仕着せである。 そのかけられた呪いを外したくてまた誰かにお仕着せがましく当たるのである。それはしかし解呪ではなくただの拡大再生産に他ならない。

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頭の回転が速い人ほどその時自分が理解できないものを煙たがる傾向を感じる。 今すぐ形にならないものを避けたがる。 これはテストというものが悪くて、勝手に出題者が決めた制限時間内に答えられないと不出来とされる知性観しか教えていないからだ。宙ぶらりんのまま耐え続ける力を教えようとしない。

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ぎっくり腰になるのが上手くなってきた。 前回は3日で回復したが今回は2日。 しかもなったその日から「動くときは痛くなく、動かないときだけ痛い」という痛み(活動状態と回復状態)のオンオフ機能まで備わった。 次は翌日、その次は当日中、そしてゆくゆくはなった瞬間すぐに治せるかもしれない。