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安丸良夫bot(非公式)

@yoshioyasumaru

安丸良夫さんの論文が好きすぎて勝手にbotをはじめてしまいました。何かあれば、DM・リプライまで。

ID: 1965001675

calendar_today16-10-2013 15:12:02

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商品経済の浸透を最深部の起動力として、伝統的な村落生活が崩れてゆくと、若者たちの恣意性がつよまり、これまでのそれなりに秩序をもっていた若者たちの「この世の楽しみ」が急速に膨張して伝統的生活秩序をおびやかすことになった。(「日本の近代化と民衆思想」)

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貧困の問題を、この記述のように、主として民衆の生活態度と結びつけることには、あきらかなイデオロギー的虚飾がある。こうした捉え方によって、荒廃の根源が、封建権力と商業高利貸資本のすさまじい収奪にあったことが、おおいかくされてしまっている。(「日本の近代化と民衆思想」)

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近代社会における利害の一般的対立を知ってしまえば、通俗道徳の偽善性は一目瞭然となり、天香のように自分を社会から積極的に脱落させる方が、良心にかなっていることになる。(「日本の近代化と民衆思想」)

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天皇制の科学的分析はマルクス主義歴史学のもっとも偉大な成果の一つではあるが、それは天皇制の階級的基盤と権力機構の分析にかぎられており、天皇制のイデオロギー的側面の分析は欠如していた。(「民衆道徳とイデオロギー編成」)

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その場合にまず検討さるべきは、民衆の新たに獲得すべき生活規律が武士階級の倫理の理想化―儒教道徳の純粋化という形態でしか表象されることができなかったということの歴史的意味である。(「日本の近代化と民衆思想」)

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封建的ヒエラルキーを道徳や人間性のヒエラルキーとして実感するということは、封建社会においては避けることのできない社会通念だった。(略)民衆は道徳的な劣等者となり、そのために信念に基礎づけられた自主的で積極的な活動主体となることを阻まれている。(「日本の近代化と民衆思想」)

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そして、逆説的ではあるが、こうした倫理的正当性の確信の結果として、正当な商行為がどれほど多くの利益をもたらしてもすこしも心を傷めずにその営利活動に信念をもって専念できるということになった。(「日本の近代化と民衆思想」)

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民衆的諸思想が、儒仏の宿命感を打破して現実的な努力を重んじたことは、偉大な事実だが、しかしこの努力は極度に精神主義的で非合理なものだったのである。強烈な自己鍛練が要請されたが、その成果の方はずっと不確実なものだった。(「日本の近代化と民衆思想」)

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商品経済の浸透を最深部の起動力として、伝統的な村落生活が崩れてゆくと、若者たちの恣意性がつよまり、これまでのそれなりに秩序をもっていた若者たちの「この世の楽しみ」が急速に膨張して伝統的生活秩序をおびやかすことになった。(「日本の近代化と民衆思想」)

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さらに民衆的な諸思想が農村部でも展開され、日本の民衆がいわば全民族的な規模で思想形成の課題に直面したのは、近世封建社会の危機もようやくふかまった十八世紀末(天明・寛政期)以降であり、とりわけ文化、文政期以来のことであった。(「日本の近代化と民衆思想」)

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ことに重要なのは、農業や商業という産業活動の道徳的正当性が強く主張されたことである。農業がもっとも正しく、また重要だという考え方は、この時代の民衆思想の重要な特質である。(「日本の近代化と民衆思想」)

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彼(梅岩)は伝統的共同体世界に習慣化されている素朴な「和」を排して、きびしい自己規律に基礎づけられたあらたな「和」を樹立しようというのである。二つの「和」は、まったく異なっている。(「日本の近代化と民衆思想」)

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こうした通俗道徳の実現の中にこめられている広汎な民衆の苦しみや自己実現の喜びや、幻想性や虚偽性のカラクリやは、すべてどうでもいいこととなり、ただ伝統的な「社会的価値」が近代化=資本主義化にどれだけ有益であったかをしめせばよいことになる。(「日本の近代化と民衆思想」)

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商品経済が発展しそれにともなう社会的な交流が急速に展開するようになると、こうした伝統的な生活秩序は維持しえなくなり、人々は、あらたな経験と欲望の充足をもとめるたくさんの機会をもつようになった。(「日本の近代化と民衆思想」)

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ごく一般的にいって、もともとは支配階級のイデオロギー的武器である儒教、キリスト教などは、その教義の理想主義的側面を純粋化して支配階級の現実に適用してみれば、広汎な民衆に批判の武器をあたえるものだった。(「日本の近代化と民衆思想」)

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通俗道徳には、たくさんの人々の真摯な自己鍛練の努力がこめられていたこと、こうした自己鍛練によってある程度の経済的社会的地位を確保しうるということが、この通俗道徳に容易に反駁できない正当性を与えていた。(「日本の近代化と民衆思想」)

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梅岩も尊徳も、中山ミキも出口ナオも、きわめて強靭に鍛えぬかれた(以上9字傍点)人間だった。彼らの資質も大切だが、彼らがさまざまな苦難のなかで、自己の信念をたえず反省し、その信念に照らして必死に自己変革をはたしていったことがはるかに重要である。(「日本の近代化と民衆思想」)

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表面からみれば(人格の外側からみれば)、彼等はつつしみぶかく実直な、多くは勤勉な庶民にすぎない。一見したところでは、それはもっとも平凡な生活態度に見えるかもしれない。しかし、そうした生活態度を首尾一貫してつらぬくためには、強靭な自己統御が必要だった。(「日本の近代化と民衆思想」)

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丸山氏は、近代日本社会のもっとも通俗的な意識が、広汎な人々の主体的エネルギーをこめて歴史的に形成されたものであることを理解しない。(「日本の近代と民衆思想」)

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尊徳仕法は、封建社会末期における苛酷な収奪をおおいかくして、いやがうえにも厳しい労働や倹約を民衆に強制するものであり、民衆支配のための若干の新味をもったイデオロギーだった、ということになる。(「日本の近代化と民衆思想」)