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工藤冬里bot

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終わりに向かって息を弾ませる unofficial

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calendar_today27-01-2012 13:12:49

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多くの人は浮くためにあらゆる努力を払います。しかし自由は得るものではなく与えられるものです。将来敵である死が無くなった時に即興は初めて完全性を帯びるでしょう。

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鈴木卯多は毎晩居酒屋"たぬき"に現れると焼き鳥を一本注文してカウンターに百円玉を一枚置き、閉店までそこに座っていた。昼は路上で彼女がスカートの中に土を入れ、エプロンを摘む様にしてそれを自分のアパートに運んでいるのを見ることが出来た。

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鈴木卯多は「Black-Eyed Susan」「good-bye」といった曲において、信じられない様な音程の取り方でソロをとった。それは何と言うか空中でパイナップルが内側から開いて裂けた様な音色だった。

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夜、居酒屋"たぬき"の前を通ると必ず、カウンターに座っている高橋と三谷の背中が見えた。二人が「電車で青梅に行ってきた」等と言っているのは「無頼の面影」というマンガそっくりだなと思った。

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柴山伸二は三谷のベースを大層褒めた。僕も彼が来なくなって自分でベースを録音する様になって分かった。

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この名前の意味を知るには新宿の紀伊國屋に行き、カトリックのエルサレム清書のイザヤ書8:3を立ち読みしなさい。そこには「speedy spoil quick booty」と書かれてあるでしょう。その意味は「分捕り物は素早く」と出ていますが、

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正しくは「急げ、分捕り物よ(または分捕り物に急げ)! 彼は急いで強奪物のところに来た」です。この子供が「お父さん!」「お母さん!」と言える様になる前に、アッシリアの王がユダの敵であるダマスカスとサマリアを隷属させることになるというのがその預言的な意味です。

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私はアメリカにもバチカンにも属したくありませんが、音楽の分捕り物には少し興味がありました。サマリアでもアッシリアでもなく、サマリアからアッシリアに向かう船そのものになるなら罪は少ないかもしれない、とダンボール箱一杯の楽譜を前にして僕は勝手に考えました。

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例えば、ラジオの音楽に晒されている内に、オンリー・ワンズ風の甘いメロディーが浮かんできてしまったとします。そのままでは世の中そのままでしかないと思い、その気恥ずかしさを帳消しにするために一つの不協和音をそこに投げ入れるならば、それは世と自分との距離を提示することになります。

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自然に関する理解という面からものを考えることによって、個人的な事件としてのジャズの、消極的なリアリズムを抱え込んだ演奏家としての自分の手綱を取ることが出来る様になりました。

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後200年位は思った音を選び取る工夫をして、それから後はコレクティヴ・インプロヴィゼーションのことも考えていきたいと思っています。

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グッドマンで気に入っているのは、「塩山」というタイトルを後で付けたもので、仕事をクビになった日に塩山温泉に行ったというだけのストーリーですが、その描写の意図は、中央線が高尾を抜けた辺りの、山が迫ってくる感じをうまく表すことでした。

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僕は子供の頃、松山という町に住んでいました。美登利さんという、当時26才ぐらいでしたが、マル・ウォルドロンや浅川マキのコンサートがあると僕を連れ歩く人がいました。

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彼女は僕をニューポートというジャズ喫茶に連れていきました。ピアノを習っていたので、パウエル派のピアニストだったそこのマスターに弟子にならないかと勧められました。彼の方法はバド・パウエルをまるごと一曲コピーする、というものでした。

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それで14歳の頃店の隣のナイトシアター・パレスという歌手の墓場の様なクラブで、幕間にトラでピアノを弾くという経験をしました。東京から流れてきたうらぶれたバンドマンたちに混じって、他に何も出来なかったのでただブルースだけにしてもらって、なんとかギャラを貰えました。

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サマリアからアッシリアに向かう船が、明鐘岬で座礁した。一年後に訪れた喫茶「岬」から、昔のボサノヴァのLPの様な岩場が見え、「鬼火」の主人公の様に昔の曲を振り返ると、それらは次々と私の代わりに塩の柱になった。

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中崎は僕や三谷や篠田とは違う文化圏の人間だった。彼はマイナーもタコも知らなかった。山谷争議団で接点がある位だった。彼は和光大学系のカウンターカルチャーの繋がりの中で生きていた。「休みの国」は彼にとって当たり前のバンドだった。