3 months ago
オーストラリア シドニーにある #セント・メアリーカテドラル です。ここでも今朝、大司教司式による #主の昇天 のミサが捧げられました。
🕊今日は「主の昇天の祭日」の集会祭儀が行われました。 復活したイエス様は弟子たちに使命を託し、祝福のうちに天へと上げられました。 昇天は終わりではなく、新たな始まり。 私たちも、証人として福音を生きる者でありますように。 #主の昇天 #カトリック #今日の福音
信頼しきって、真心から神に近づこうではありませんか。 #ヘブライ10章 #主の昇天 イエスが遠くに行ってしまう、って思わなくてもいいんだ わたしたちの思いを携えて御父のもとに昇られる わたしたちの思いが天とつながる 「信頼しきって」と訳してくれてありがとうって言いたい😭
わたしは世の終わりまで、 いつもあなたがたとともにいる。 アレルヤ。 (拝領唱より マタイ28:20) #主の昇天 #シルバニアファミリー
「聖書の言葉」と「祈りへの招き」 6月1日(日) 主の昇天 ルカ24・46-53 「祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた」(ルカ24・51)・・・全文はホームページURLからご覧ください tomoshibi.or.jp/word/2025/05/3… #ルカ #主の昇天 #メシア #祝福 #復活
#主の昇天 の祭日は、わたしたちのまなざしを天に向かわせます。そして、イエス・キリストがわたしたちたちに委ねられた地上での宣教の使命も思い起こさせるのです。わたしたちがその使命を忠実に果たせるよう聖霊が助けてくださいますように。 #教皇 #宣教 #キリスト教
「そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」(ルカによる福音書24章51節 #聖書 #主の昇天) 今日は「主の昇天日」といわれる一日。 天に上げられたイエスは見えなくなったのですが、弟子たちは大喜びであったのです。それはたとえ見えなくとも、共におられる主に安心したからです。
今日の聖書の言葉です。 「そして、祝福しながら彼らを離れ、天に上げられた。」(ルカによる福音書24章51節 #聖書 #主の昇天) すべての人々に、主の平和がもたらされますように。
2025/5/29 (6/1) #主の昇天 ✨ 復活の40日後(それゆえいつも木曜)、主は天に昇り神の栄光に入ります 目に見える地上世界での存在を終え、聖体を通してつねに現存し、普遍的なかたちで永遠の命を予示 古くからの典礼でこの日「天に上げられ」の福音朗読のあと復活の蝋燭を消す(した)のはそのため
6 months ago
アメブロを投稿しました。 『主の昇天』 #アメブロ #主の昇天 ameblo.jp/welove626/entr…
a year ago
#主の昇天 は、イエスはわたしたちの間で、新たに生きておられるのだと告げています。今や、主はあらゆる場所と時間に存在しておられ、わたしたち一人ひとりに寄り添っておられます。ですから、わたしたちは独りではありません。わたしたちを導き、待って、守ってくださる方がおられるからです。#教皇
主は喜びの叫びのうちに角笛の響きと共に上られた。(詩編47篇より) 本日ルルドにて #ロザリオの祈り いつ降り出してもおかしくない曇り空、お祈りの時間は守られた☁️ 今週も私たちの周りで既に働いている神様の恵みを数えながら過ごすことが出来ますように☦️ #主の昇天 #TLを花でいっぱいに
5月12日 主の昇天【礼拝要旨】 「主の約束」 - #聖書 #御言葉 #礼拝 #教会 #主の昇天 - 聖句 マルコ16:20 弟子たちは出て行って、いたるところで福音を宣べ伝えた。主は彼らとともに働き、みことばを、それに伴うしるしをもって、確かなものとされた。 -
主は彼らと共に働き、彼らの語る言葉が真実であることを、それに伴うしるしによってはっきりとお示しになった。 #マルコ16章 私は奇跡はできないけれど もし何か良いことができたとしたら それは「私」のわざではなく 共におられる神の力 神を心に、体に、魂に感じながら 歩んで行きたい #主の昇天
主はのぼられた よろこびのさけびのうちに #シルバニアファミリー #主の昇天
「聖書の言葉」と「祈りへの招き」 5月12日 主の昇天 「主イエスは、弟子たちに話した後、天に上げられ・・・・・。一方、弟子たちは出かけて行って、至るところで宣教した」マルコ16・19-20 ・・・全文はホームページURLからご覧ください buff.ly/3JxN8NG #主の昇天 #宣教 #福音 #洗礼
2024/5/9 (5/12) #主の昇天 ✨ 復活の40日後(それゆえいつも木曜)、主は天に昇り神の栄光に入ります 目に見える地上世界での存在を終え、聖体を通してつねに現存し、普遍的なかたちで永遠の命を予示 古くからの典礼でこの日「天に上げられ」の福音朗読のあと復活の蝋燭を消す(した)のはそのため