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Keiichiro | ENPF

@keichroy

ITエンジニア⌨ 1982年生🐐

ID: 13238182

calendar_today08-02-2008 07:15:26

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Masahiro Hotta (@hottaqu) 's Twitter Profile Photo

これからの時代には、大々的なプロパガンダで多くの人々の感情を支配しようとする人間が、今以上に多く現れることでしょう。そういう人間に誘起される浅い感情を軽々と乗り越えていける技術を身に付けてこそ、その人は本当に自由に生きれるのだと思うのです。若い人は、是非ともそういう個の自立に基づ

emh (@emh01898716) 's Twitter Profile Photo

感情を名前で呼んでしまえば、 それをひとつところに押し込める 名前がつけられる以前のもの それが何であるかを確かめる 触れる ということさえそうかもしれない 立つことも、歩くことでさえも 名前以前のものは今ここにある そうであれば、沈黙するしかない 静寂の基にある何か 確かに在るもの

ぬーそろじーたん (@noosology_tan) 's Twitter Profile Photo

ヌーソロジーとは何か?私は「理を以て、神の言葉の嘘を暴く」立場にあるものだと思うわ。世の中のありとあらゆる嘘と幻想を見抜くことで、それがグノーシス思想とも通じることになり、「自己」の発見にも通じている。他にも、汎用性の高い万能ツールになりえるけど、とりあえずはそんな所ね。

尹雄大/Yoon WoongDae (@nonsavoir) 's Twitter Profile Photo

熱狂と没入から遠ざかるには、「この世界にいながら、この社会に属さないで生きる」構えが必要だ。 「属さない」とは、この現実だけが現実の全てではないと知ること。そのことを語り続けることが、目覚めたつもりで更なる深い眠りに陥らないための手立て。

ストット怜 (@rei_sttt) 's Twitter Profile Photo

魂の位置は不動ゆえ、その位置に留まることで最も魂をふるわせられるということがあると思う。不動によって振動が起き、物事が動くという現象の動き方。事物は必然性の流れに乗る以外に正しく動く術を持たないことを考えると、全ての者が不動の位置に留まったときに初めて真の共創が起きるとも言える。

ぬーそろじーたん (@noosology_tan) 's Twitter Profile Photo

「強さ」とは何か?社会的な強さだったら、「他者」の言うことをずっと聞いていれば、手に入るんじゃないかしら?ただ、「自己」の強さとなると、それとはまったく逆よ。ヌーソロジーでいう奇数系観察子が持っている力ね。

みーこみーこ.黄色い月の星kin28 金星軌道 (@rinnemam) 's Twitter Profile Photo

13とは? そうさせているもの ~能動的補完者~ 「13とは?」 問いは環の端に立ち、 12の閉じた円を見つめる 8から9へと飛ぶために 呼び出される補助軸 鍵は「5」 人のかたちを映し 枠を越えようとする生命の意志 では「4」は何か 壊れるために用意された枠か 新しいかたちを立ち上げる基盤か

みーこみーこ.黄色い月の星kin28 金星軌道 (@rinnemam) 's Twitter Profile Photo

秩序は閉じきれずに震え 虚軸に沿って螺旋がまわりだす 360を13で割るとき 環はもはや閉じることをやめる 7でもずれは起きた 11でもまた歪んだ だが、調整はまだ可能だった 13は違う 調整を拒み、余白を残す その余白こそが 未来への跳躍を呼び込む

みーこみーこ.黄色い月の星kin28 金星軌道 (@rinnemam) 's Twitter Profile Photo

13とは、欠けではない 割り切れなさを力に変えるもの 環を閉じるかわりに 新たな次元の扉を開く能動的補完者 ――「私はズレそのもの だが、このズレがなければ 君は螺旋を描き、未来へ跳ぶことはできない」

半田広宣 (@kohsen) 's Twitter Profile Photo

ヌーソロジーの公式見解はおおよそ次のようなものになるのではないでしょうか。 「意識進化は特定政党や指導者の支持と無関係である。政治的・経済的意思決定は、AIと分散型ネットワークに委ね、人間は内的宇宙を開くことに人生の意味を見出すべきでる。」

ストット怜 (@rei_sttt) 's Twitter Profile Photo

頭の中で巡る思考は、言葉として起きているわけで、その言葉になる前の領域に戻し、感覚に留まる。 耳から聞こえる音の、その音になる手前のところを聴く。 何か事を起こそうとする、その手前の衝動に留まる。 そこが実相であり、解釈をはめた途端に矮小化が起こる。 解釈をはめない場所にて動き続ける

半田広宣 (@kohsen) 's Twitter Profile Photo

ヌースに関心を持つ人は、ヌースの出自がチャネリングにあるせいもあってスピリチュアル系の人が多いんだけど、個人的にはスピの弊害というのは「意味づけの暴走」にあると思ってる。要するに、知覚そのものより先に、言葉(=概念=物語)が前に出て、世界を上書きしてる状態と言ってもいい。結局のと

megumi.N (@huelabo0) 's Twitter Profile Photo

しかし、完全性質の人間は非創造物ではなく、創造は認識の分離が生じた地点で事後的にそう見える構造、創造主は自己が自己を外化したときに現れる認識上のポジションと捉えると、「誰が創ったのか」という問いは無効になり、「なぜ分離して見えるのか」という問いだけが意味を持つようになります。

あきやまなるみ (@_silent_garden) 's Twitter Profile Photo

「人に興味がある」って、単に好奇心が強いとか、社交的だと思われがちだけれど、本当の意味で人に興味があるというのは、自他を尊重したい人なんじゃないかと思う。

Φ=WHY? (@whyanywhere) 's Twitter Profile Photo

「人間」界における、いつでもどこでも「自己が不在になる」理屈をもう少し考えた方がいい。それはむしろ構造的なものだ。ラカンが幼児期の「言葉の獲得」を「モノの殺害」と少々物騒な言い回しで言ったのもその意味においてである。特に、名付け的な言葉は「事物(現物)の不在」とともにある。

半田広宣 (@kohsen) 's Twitter Profile Photo

⚫︎ヌーソロジーと占星術 ホロスコープを読んでいると、ふと感じる瞬間がありませんか。「これは当たる/外れるの話じゃなくて、もっと深い“構造”がある」と。 ヌーソロジーは、その直感を“神秘”のままにせず、論理として組み直すための学びになる予感が最近、強くしてきました。