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木村俊介

@shunsukekimura

インタビュアー。著書に『インタビュー』『漫画編集者』『善き書店員』『料理の旅人』『奇抜の人』『仕事の話』『物語論』、聞き書きに『調理場という戦場』『バンド』『衣食住音』『デザインの仕事』『芸術起業論』『海馬』『ピーコ伝』、書籍構成に『イチロー262のメッセージ』など。 [email protected]

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calendar_today12-03-2010 10:50:45

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ジャン=ミッシェル・フォロン「空想旅行案内人」展。線を引いて絵になる自由さ。特にタイプライターの広告で描いた線画が楽しかったです。一筆で引く歪みや不安定さの痕跡も色気がありました。タイプライターの「フリーハンドで書く」という道具の醍醐味にも通じていて何かを書きたくなった絵でした。

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いまの時代にわざわざ美術館に行く、本を読む、音楽を聴きに行く、人の話を聞く、書くといったことは「手ぶらで集中してみる体験」みたいな贅沢さがある気がします。一見、時間がかかって非効率的にも思えるけど、耳も眼もネットの情報や扇動から逃れて、自分なりに瞑想を遊ばせる旅ができるというか。

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ポール・オースターさんの『4321』を、買ってからずいぶん経ったいまになってじっくり、なるべくゆっくり読んでいて楽しいです。一文や一段落ごとの変貌が鮮やかで、数ページも読めばすっかりこちらの心象風景が変わっている。書くように一言ずつ味わうと、悲劇込みのユーモアが染みてくる気がします。

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ポール・オースターさんといえば『MONKEY』の特集号に全体の25分の1が訳された米国では2021年刊のノンフィクション『燃える若者 スティーヴン・クレイン評伝』は、「説明ではないポートレートとしての描写」がいかに生まれたかがみずみずしく、しかもまがまがしく書かれて一文ずつおもしろかったです。

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『草木の生起する国』(梅原猛、聞き手・東浩紀/ゲンロン)。個人の考えでは届かないかもしれない何かについて、自然や史跡や、言葉を積み重ねる世界も含めて耽溺するみたいに旅して思いをめぐらす豊かさが伝わってきました。自然の中を歩いたり本を読んだり考えたことを記したりしたくなる電子書籍。

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私が若い人の「取材して書く」場で一人の取材者として手助けする役割を経て心が動いたのは、一つの決定的な取材での喜びを大切にして、人に会うように外界で何かを見つめたり、人や自分と話すように本を読んだり文章を書いたりと、一歩ずつが「勇気ある踏み込み」に変貌する人も出てきたところでした。

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いろんな書き方、考え方みたいなものを試してきて、どんな時間の過ごし方に生き生きした実感があったかといえば、結局のところ「『ながら』でやらないことならほとんど」と心から思ってしまうぐらいに、最近はどうも「ながら」は自分なりには実は何もしないまま時が過ぎてしまうような感触があります。

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とはいえ、「ながら」は本来なら何か「トクをする」ための行為で、たとえばスマートフォンはまさにそれを実現させてくれる便利な道具なのだけど(おかげで私に英語がわかるようにさせてくれた好きな機械)、トクをしようとすると、かえって損をしてでもやりたい意欲がヒマつぶしに食われるかのような。

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いまは動画、音声、漫画、音楽、本など「人柄の魅力も含めた考え方」を大量に浴びてからだんだんと「あ、もういいか」と卒業し続ける中で何に気が合うのかがわかるのがおもしろい時代だと思います。逆に言えば、人につい求めるのと同じ痕跡で自分の言動を「引き算」しても楽しみが深まりそうというか。

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取材に引きつければ、それぞれの個人の選択や運命が数えきれないほど重なった歳月や認識の「積み重ね」が魅力なのだけど、回り道で何を「引き算」してきたかの奥行きをもお聞きしてそれとなく葛藤として示すことで、その個人と時代との距離感や切実さがわかって、見飽きない心象風景になる気がします。

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自前の考えをつくる前から、あるいは人や世の中に決定的に出会う前から「支配力を持ちたいがあまりに現実を変えようとする言説」に馴染めないのもあって取材を続けてきた気がするけれど、最近は「等身大の人生やつくる営為の深まり」という日本ならではの取材を突き詰められたらいいなと思っています。

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取材をしてみて面白かったのは、人の話を直に聞く場が重なり、自分なりに時代やものづくりや人間についての社会勉強になったこと。その自前の痕跡から本や情報、作品などに触れたら、いいものはいい人の言葉のように何回も噛み締め直して考えないと、受けとめることすらできないな、とわかったりして。

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聞き書きは谷崎潤一郎が注目した点からも想像できる通り、人の在り方を表現しやすいと思います。だとすると、まとめはアイデアの積み重ねと同時に存在感でも「その人とできればイコール」に近い彫り込みを目指せば、人物画だけど周囲の環境も描く「時代の風景画」のような魅力を持ち込める気がします。

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プルーストの文章が面白いのは「今の刺激から何かを思い出すのは、今と過去に通じる、世の中の本質と感じられるものを見つけたから」みたいな考えが連なる独創性。もしかしたら取材もそれをしていて、過去を話す人も聞く人も何回も考え直して積み重ねた「本質」と思える何かに辿り着いたらいいな、と。

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質問や反論をするとは誰かと問題を共有することだから、誰かや社会と一緒に考えるきっかけになる行為だ……と思うと、たとえば、仕事やニュースに対して当然ながら誰でも不満もあるように感じられるところを聞くことで、切実な問題への思ってもみなかったアプローチに気づける時もあるのがおもしろい。

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寄藤文平さんに教えていただいた『顔真卿の書法』(原田凍谷/書芸文化新社)。再読すると顔真卿や黄庭堅がいかに書き方と内容を調和させ楽しみながら変貌してきたかが面白くて、縦書きが日常的な道具として奇跡的に生き残っている日本の興味深さにも気づき、縦書きと手書きで記してみたくなりました。

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顔真卿の筆跡が40歳代から70歳代までかけて40歳代でも既に美しいのに膨らみを帯びてかわいらしくなっていく変貌を味わうと、モネが50歳代以降に「睡蓮」で水の反映を描くのにも近くて、流れる豊かさに重きを置くことで線を引いたり考えたりする「楽しみ」を獲得し直したのではないかなと想像しました。

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顔真卿の40歳代以降の変化は筆の先端をいちばんに進ませる「先行鋒」にあると書家の原田凍谷さんは2005年に発見して論考や本にしてきたのだけど、万年筆で見よう見まねしてみると楽しくて、考えの連綿をより「意図のあるボール」として、速すぎない線の流れで自由に積み重ねていけるかなと感じました。

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田中善信さんの『芭蕉 「かるみ」の境地』(中公新書)という本が好きです。本来は新たな問題にも踏み込みたいが時間切れが近いため、芭蕉のすべての書簡を現代語訳して生まれた従来とは少し異なる芭蕉像を、脳裏にあるまま残すというバトンの渡し方だからこそ、書くとは何かが本質的に記されていて。

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『ドーパミン中毒』(アンナ・レンブケ、恩蔵絢子訳/新潮新書)。共感したのは精神科医の著者による、今は何かしたらすぐ喜びが得られるという物語や商品が普及しきって前提になっているから人が我慢に弱くなって依存やクレームが増えたとでもいう認識。本が読まれにくい時代というのに繋がるようで。