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ボンヘッファーの言葉

@bonhoeffer_jp

Bonhoeffer, Dietrich 1906.2.4-1945.4.9 ナチ政府に抵抗したドイツ告白教会の牧師、神学者。著作の邦訳は新教出版社から。shinkyo-pb.com

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決定的なことは、キリスト者は、この自分の霊的誕生地を離れるほどには成長していない-『聖徒の交わり』(1930年)『選集I』195頁

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神の意志と神の意志にふれた場合のわれわれの意志以外に、聖なるものはない-『聖徒の交わり』(1930年)『選集I』201頁

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教会は自己の権威はあくまで派生的なものであり、代理的なものであることを知らなければならない。-『聖徒の交わり』(1930年)『選集I』217頁

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神の言葉が宣べ伝えられるところでは、それがどんなところであろうとも、その言葉が自力で一つの教会を創造するということは、神の約束の奇跡である。-『聖徒の交わり』(1930年)『選集I』234頁

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教会は公同のものとして信じられる。それは、教会が神の教会として全世界に対する呼びかけを持ち、世界において神の言葉が宣べ伝えられるところには教会が存在するからである。-『聖徒の交わり』(1930年)『選集I』240頁

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気分の高揚した瞬間においてでなく、均衡のとれた堅固な日常生活と定期的な礼拝の中で、教会の真面目が理解される-『聖徒の交わり』(1930年)『選集I』241頁

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自己を純粋に自己から理解しようとする試みは、失敗しなければならない。-『行為と存在』(1931年)『選集II』21頁

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キリストの従順に結びつけられ、真理から「存在する」思惟のみ、真理の中に位置することができる。-『行為と存在』(1931年)『選集II』81頁

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神なき思惟は-どれほど倫理的であっても-自己閉鎖的にとどまる。-『行為と存在』(1931年)『選集II』95頁

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「そこにある」神は存在しない。神は、人格的関連の中に存在し、その存在は、人格における存在である。-『行為と存在』(1931年)『選集II』137頁

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私は福音を聞き、共に祈り、今ここに、あるはほかのととき、ほかの場所に結びつけられている言葉、サクラメント、キリストの教会の祈り、新しい人間性の中で、自己を知る。-『行為と存在』(1931年)『選集II』143頁

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説教者は今ここに集まった歴史的な会衆の前で、言葉を宣べなければならない-『行為と存在』(1931年)『選集II』161頁

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キリストを仰ぐことにおいて、自己の分裂について苦悩する知は、「よろこばしい良心」、信頼、勇気を見出すのである。奴隷は解放される。異郷と悲惨の中で成長した人は、故郷において子供となる-『行為と存在』(1931年)『選集II』202頁

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服従において、人間は、自分の律法の過酷なくびきを脱して、負いやすいイエス・キリストのくびきのもとに来る。-『キリストに従う』(1937年)森訳4頁

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安価な恵みとは、教説・原理・大系としての恵みのことである。一般的真理としての罪の赦しのことであり、キリスト教的な神観念としての神の愛のことである。-『キリストに従う』(1937年)森訳14頁

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安価な恵みとは罪の義認のことであって、罪人の義認のことではない。-『キリストに従う』(1937年)森訳14頁

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前提としての恵みが安価な恵みであり、結論としての恵みが高価な恵みである。-『キリストに従う』(1937年)森訳24頁

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自分の持っていたものをすべて放棄してイエスに対する服従に生きる者のみが、ただ恵みによって義とされると言うことが許される。-『キリストに従う』(1937年)森訳25頁

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われわれは、烏のように、安価な恵みの死骸のまわりに群れ集まった。その安価な恵みからわれわれが受け取ったものは毒同然のものであって、それにあてられてわれわれの間にはイエスに対する服従が死に絶えたのである。-『キリストに従う』(1937年)森訳27頁