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Simone Weil

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1909年2月3日 - 1943年8月24日 フランスの哲学者。

ID: 201246526

calendar_today11-10-2010 12:38:54

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貴重なものが傷つきやすいのは、ほんとうにいいことなのだ。傷つきやすいということこそ、生存していることのしるしなのだから。

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人間には、架空の神性が与えられた。それは、キリストがまことの神性をぬぎ捨てたように、人間もその神性をぬぎ捨てることができるようにである。

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天の外側へ顔を出したたましいは、人間を食べて生きる。天の内側に残っているたましいは、人の意見を食って生きる。

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霊感に関連した事柄だけは、時間が伸びてもそれによって豊かになってくる。人の本文や意志に関する事柄は、時間のおくれをゆるさない。

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権力(そして、権力の合いかぎである、金銭)は、単なる手段にすぎない。まさにそのために、理解のできなかったすべての人たちにとって、それが最高の目標になるのだ。

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必然。ものとものとのさまざまな関係、次には自分自身、さらには自分が心に抱いているさまざまな目的をも、この関係の一要素として含めつつ、見て確かめること。行動はその結果としておのずと出てくる。

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記号と記号内容との関連が失われてしまった。記号と記号とをとり代えるにすぎぬ遊びごとが、増えている。遊びそれ自体として、また遊びのための遊びとして増えてきている。そして、複雑さが増し加わるにつれて、記号のための記号をつくり出さねばならなくなっている……

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真の善ならどんなものでも、互いに矛盾する諸条件を含んでいる。だから、それは不可能なのである。この不可能であるということに注意を真にそそぎつづけ、行動する人は、善を行うことができる。同じように、あらゆる真理には矛盾が含まれている。矛盾は、ピラミッドの頂点である。

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「荒れ果てた東方の国で……」住む人もない荒れ野にいなければならない。愛すべき人は不在なのだから。

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低いものと浅いものとは、同一のレベルにある。「かれは愛している、激しく、しかし低級に」という言い方は可能だ。「かれは愛している、深く、しかし低級に」という言い方は不可能だ。

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見つめることと待つこと、それが美しいものにふさわしい態度である。自分で考えつくことができ、欲求することができ、願望することができるかぎり、美しいものは出現しない。だからこそ、すべて美の中には、除き去ることができない矛盾、苦、欠如が見出される。

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わたしたちは、知性でとらえられないものの方が、知性でとらえられるものよりもずっと実在的であることを、知性のおかげで知っている。

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自分の財宝を奪われた守銭奴。凍りついた過去が奪い取られたのである。過去と未来、それだけが人間の財宝。

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もしわたしの永遠の救いが、なにかの物体となってこの机におかれており、それをつかむには手をのばしさえすればよいとしても、わたしは、そうせよとの命令が与えられないかぎり、手を出そうとはしないだろう。

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太陽は、正しい者の上にも、正しくない者の上にも照りかがやく……神は、みずから必然となっている。必然のふたつの面、行使される必然と、受け忍ばれる必然。太陽と十字架。

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悪と、神の罪のなさ。神が悪とはかかわりがないことを知るために、神は無限のかなたにあると見なければならない。逆にいえば、悪があるということから、神が無限のかなたにあると見るべきだということを知らしめられる。

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神への信仰に命をかける人は、その信仰を失うことがあるかもしれない。だが、神そのものに命をかける人は、決してその命を失うことはないであろう。全然触れることのできないものに命をかけること。それは不可能である。それは死である。が、それが必要なのだ。

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隣り合わせの独房に入れられ、壁をこつこつとたたいて通信しあう囚人ふたり。壁は、ふたりを分けへだてているものであるが、また、ふたりに通信を可能にさせるものである。わたしたちと神とのあいだも、そんなぐあいだ。どんな分けへだても、きずなになる。

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わたしの中にはいまだかつてよろこびがなかったといって、それがなんであろう。神の中にはつきることなく、完全なよろこびがあるのだから。美、知性、その他あらゆるものについても同じだ。