「……そう、……そう、か……そうですか……」(すとん、と落ちてしまった。母親も父親も、この兄には信頼に値しなかったのだ)

「……そう。……私が、兄さんの代わりに徴兵に応じたから、それに不満だったんですね……、確かに、あの時の私は、母様に何も考えずに告げていたかもしれません……そう……」

(恐る恐る顔を上げる。兄の目が見えた。真っ直ぐな目が自分を見ている。……司令官もこの目の前じゃ、恐れを抱くのも当然だ)「……兄さんの考えは、わかりました。……死んでから理解するなんて、……本当。……私は、本当に愚か者ですね」

(そんな、ことは無いのに。握られたままの手を見下ろして、暖かな温もりを感じている)「……私は、……そんなに頭が良い訳じゃありません。今の今まで、兄さんのことを逆恨みのように、……思っていました。……ごめんなさい」

(す、と深呼吸をする。先程よりもずっと息が吸いやすかった)「ずっと、兄さんは私の目標でした。今もずっと変わりません。……私は、貴方の遺した影を追いかけながら、この先も生きます」

「……ふふ」(釣られたように頬を緩め)「そこは、大丈夫です。……私は、兄さんのようにはなれませんから。誰かの為に死ぬことは、恐らくありません。……そんなに強く誰かを想うことも、できるかと言われると微妙です。まだ自分のことで精一杯なので」

(権利、という言葉を聞けば、少し眉を顰める。もう心の蟠りは消えたはずなのに、何を望んでいるのか……)

「……。では、あの……恨み晴らしついでに、ひとつ、我儘を……言ってもいいでしょうか」(酷く申し訳なさそうに、言いにくそうに口を開いて)

「だ……っ、抱き締めて、いただけますか」(視線を逸らしながら必死に声を絞り出して。羞恥で上擦った声で言ってから、やっぱり言わなきゃ良かった、なんて後悔して)

「あっ、わ……」(抱き締められれば、驚いたように。伝わってくる体温に、感触に、一瞬勘違いしそうになる)

(あの日、呆然としていた時と違って、恐る恐る貴方の背中に腕を回した。大きいと思っていた背中を掴んだ)

(掴んだら、引き寄せるように掻き抱く。今更ながらに、『もう二度と、こんな風に抱いて貰えないのだ』、『二度と撫でて貰えないのだ』、そんな事実が感情となって押し寄せてくる。寂しい、悲しい、なんて。1度も思うこと無かったのに)

(夢から覚めたくない、離れたくないと思うのは、当然に思っていいのか)

「…………兄さん、ありがとうございます……。もう、大丈夫です」(暫くすれば、絞り出すようにそう言った。これ以上は帰れなくなる気がして)

「…………」(寂しそうにそれを見ている。胸が激しく痛む。自覚してしまえばとめどなく押し寄せてくるものだ) 「……どこか、行かれるんですか」

「……そう、ですか」(曖昧でも行き先を伝えてくれたことが嬉しくて、頬を緩める。兄の、薄れた指先にそっと手のひらを重ねて)

「……よく眠ってください。……さようなら、兄さん」

「…………はい、また」

(ぼんやりと窓の外を見ている)

「へちっ」(小さなくしゃみをしている)