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TOMITA_Akio

@prokoptas

しずかな肩には
声だけがならぶのではない
声よりも近く
敵がならぶのだ
勇敢な男たちが目指す位置は
その右でも おそらく
そのひだりでもない
無防備の空がついに撓(たわ)み
正午の弓となる位置で
君は呼吸し
かつ挨拶せよ
君の位置からの それが
最もすぐれた姿勢である
(石原吉郎「位置」)

ID: 207969572

linkhttp://web.kyoto-inet.or.jp/people/tiakio/index.html calendar_today26-10-2010 11:40:34

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実物画像を見慣れた現代人は、アフリカ象とインド象とを見間違えることは少ないかもしれない。しかしそれまでの人々はむしろ逆に想像している場合が多かったと、『動物と地図』は教えてくれる。「最終的にこの二属を別のものとして同定したのは、ようやく1799年になってからであった」(邦訳p.164)。

実物画像を見慣れた現代人は、アフリカ象とインド象とを見間違えることは少ないかもしれない。しかしそれまでの人々はむしろ逆に想像している場合が多かったと、『動物と地図』は教えてくれる。「最終的にこの二属を別のものとして同定したのは、ようやく1799年になってからであった」(邦訳p.164)。
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この象が戦争に使えることを初めて知ったのは、おそらくはアレクサンドロスがインド北部で戦った時だろう。その後継者たちが、その後継者戦争で戦象を使ったとしても、驚くに当たらない。パラエタケネの戦い、ガビエネの戦い、ガザの戦い、イプソスの戦いがある(Wiki「戦象」)。

この象が戦争に使えることを初めて知ったのは、おそらくはアレクサンドロスがインド北部で戦った時だろう。その後継者たちが、その後継者戦争で戦象を使ったとしても、驚くに当たらない。パラエタケネの戦い、ガビエネの戦い、ガザの戦い、イプソスの戦いがある(Wiki「戦象」)。
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しかし、そこで使った象がインド象なのかアフリカ象なのかまでははっきりしない。ともあれ、アフリカ象を戦象として使ったことは確からしい。ハンニバルの(戦象を伴っての)アルプス越えの故実がある以上、それは否定しがたい。とはいえ、その対処の仕方をすぐに発明するのが戦争というものであるが。

しかし、そこで使った象がインド象なのかアフリカ象なのかまでははっきりしない。ともあれ、アフリカ象を戦象として使ったことは確からしい。ハンニバルの(戦象を伴っての)アルプス越えの故実がある以上、それは否定しがたい。とはいえ、その対処の仕方をすぐに発明するのが戦争というものであるが。
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今回、象の骨が発掘されたというベレニケは、紅海沿岸の港湾都市である。ここではまた仏像も見つかっているという。 「エジプト:紅海沿岸の都市ベレニケで仏像が見つかる。現地在住インド人がいた可能性あり」 55096962.seesaa.net/article/499155… とすれば、戦象もインドから直輸入した可能性も否定できない。

今回、象の骨が発掘されたというベレニケは、紅海沿岸の港湾都市である。ここではまた仏像も見つかっているという。
「エジプト:紅海沿岸の都市ベレニケで仏像が見つかる。現地在住インド人がいた可能性あり」
55096962.seesaa.net/article/499155…
とすれば、戦象もインドから直輸入した可能性も否定できない。
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ユダヤ人のそもそもは遊牧民であるから、海には向いていない。ソロモーンのタルシシュ船団は、船も船員もフェニキアに依存したものだった(列王上9,26-28.歴代下8,17-18.)。それが行き着いた先”オフィル”がどこかは「長年論争の的になりながらいまだに結論の出ていない難問である」。

ユダヤ人のそもそもは遊牧民であるから、海には向いていない。ソロモーンのタルシシュ船団は、船も船員もフェニキアに依存したものだった(列王上9,26-28.歴代下8,17-18.)。それが行き着いた先”オフィル”がどこかは「長年論争の的になりながらいまだに結論の出ていない難問である」。
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いずれにしてもソロモーンのタルシシュ船団は沿岸航行(陸地の見える範囲で陸地に沿って航行する)であったと考えられる。しかしヒッパルコスのインド洋の季節風の発見で、インド西岸への直航が可能になった。敵対的なパルティア王国の成立で、その航路は南へと変遷したが(ステージⅠ〜Ⅳに注目)。

いずれにしてもソロモーンのタルシシュ船団は沿岸航行(陸地の見える範囲で陸地に沿って航行する)であったと考えられる。しかしヒッパルコスのインド洋の季節風の発見で、インド西岸への直航が可能になった。敵対的なパルティア王国の成立で、その航路は南へと変遷したが(ステージⅠ〜Ⅳに注目)。
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この東西交易によって、エジプトに成立したマケドニア人の王朝プトレマイオス朝の首都アレクサンドリアは隆盛をきわめた(インド洋に希臘人が跋扈したというのはこのこと)。それを、王朝最後の女王クレオパトラ7世を籠絡し、簒奪したのがローマ帝国であった(その後は、アラビア人に移る)。

この東西交易によって、エジプトに成立したマケドニア人の王朝プトレマイオス朝の首都アレクサンドリアは隆盛をきわめた(インド洋に希臘人が跋扈したというのはこのこと)。それを、王朝最後の女王クレオパトラ7世を籠絡し、簒奪したのがローマ帝国であった(その後は、アラビア人に移る)。
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タルシシュ船団が孔雀を積載して帰港したという記事の中に、ソロモーンが知恵者であることを聞いたシェバの女王が来訪するという有名な記事が挟まる(列王上10,1-13.歴代下9,1-12)。 しかし「現存のサバ語の記録は、はるか北方にまで気ままな旅をするような女王には一言もふれてはいない」。

タルシシュ船団が孔雀を積載して帰港したという記事の中に、ソロモーンが知恵者であることを聞いたシェバの女王が来訪するという有名な記事が挟まる(列王上10,1-13.歴代下9,1-12)。
しかし「現存のサバ語の記録は、はるか北方にまで気ままな旅をするような女王には一言もふれてはいない」。
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「しかし、女王たちがケダル人の間で重要な宗教的・政治的役割を果たしていたことが思い起こされる。ある女王がソロモンの王宮に伝説的な旅に出たこの北サバからだったと想像することは、途方もないことだろうか?」(『旧約聖書時代の諸民族』)。勿論、途方もないことでは決してないだろう。

「しかし、女王たちがケダル人の間で重要な宗教的・政治的役割を果たしていたことが思い起こされる。ある女王がソロモンの王宮に伝説的な旅に出たこの北サバからだったと想像することは、途方もないことだろうか?」(『旧約聖書時代の諸民族』)。勿論、途方もないことでは決してないだろう。
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[ケダル人]「アラブ(人)という部族が実際に存在していたかどうかは分かっていない。……この土地を「アラビア」と命名したのはギリシア人である」。旧約聖書にはっきりと記されている部族の中では、ケダル人が特に目立っているように思われる。→

[ケダル人]「アラブ(人)という部族が実際に存在していたかどうかは分かっていない。……この土地を「アラビア」と命名したのはギリシア人である」。旧約聖書にはっきりと記されている部族の中では、ケダル人が特に目立っているように思われる。→
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→ とは言っても、われわれが分かっているのは、彼らが牧畜を営む民であったこと(Isa.60,7)、弓の射手を雇ったこと(Isa.21,17)、そしてティルスと仔羊、牡羊、山羊を取り引きしたことだけである」(アーヴァイン「アラブ人とエチオピア人」)。

→ とは言っても、われわれが分かっているのは、彼らが牧畜を営む民であったこと(Isa.60,7)、弓の射手を雇ったこと(Isa.21,17)、そしてティルスと仔羊、牡羊、山羊を取り引きしたことだけである」(アーヴァイン「アラブ人とエチオピア人」)。
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「知恵文学」というジャンルがある。渡る世間が何処も同じようなものなら、世間を渡る知恵も、宗教の奈何に関わらず同じようなものになる。ソロモーンはその知恵で有名であるが、「ソロモーンの知恵」(前2世紀から後2世紀の間。ヘレニズム期のユダヤ人によるギリシア語による著作)なる書がある。

「知恵文学」というジャンルがある。渡る世間が何処も同じようなものなら、世間を渡る知恵も、宗教の奈何に関わらず同じようなものになる。ソロモーンはその知恵で有名であるが、「ソロモーンの知恵」(前2世紀から後2世紀の間。ヘレニズム期のユダヤ人によるギリシア語による著作)なる書がある。
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外典・偽典のほかに「正典」に「箴言」というのがあり(七十人訳を全訳した秦剛平が訳し忘れていたもの。本人が「はじめに」の中でそう告白している)、こちらもソロモーン作とされる。「性悪な女にチョッカイを出してはならない。娼婦である女の口からは蜂蜜が垂れ落ちる云々」(Wi.5,3-5)。

外典・偽典のほかに「正典」に「箴言」というのがあり(七十人訳を全訳した秦剛平が訳し忘れていたもの。本人が「はじめに」の中でそう告白している)、こちらもソロモーン作とされる。「性悪な女にチョッカイを出してはならない。娼婦である女の口からは蜂蜜が垂れ落ちる云々」(Wi.5,3-5)。
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しかし、シバの女王がソロモーンに期待したのは、そういう人生智=世間智ではなかったらしい。ソロモーンを有名たらしめているものに彼の裁判がある──2人の女が1人の子を我が子だと争い、ソロモーンに裁決を求めたという(列王上3,16-28)。日本では大岡裁きとして有名だが、典拠は仏典という。

しかし、シバの女王がソロモーンに期待したのは、そういう人生智=世間智ではなかったらしい。ソロモーンを有名たらしめているものに彼の裁判がある──2人の女が1人の子を我が子だと争い、ソロモーンに裁決を求めたという(列王上3,16-28)。日本では大岡裁きとして有名だが、典拠は仏典という。
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典拠が何であれ、注目したいのは「生きている子供を二つに裂き、半分を1人に、他の半分をもう1人に与えよ」(列王上3,25)というソロモーンの命令だ。これはどういう”発想”の知恵なのか?──これを考えるのも面白いが、今は問題としない。それはシバの女王が求めた知恵ではなかったらしいから。

典拠が何であれ、注目したいのは「生きている子供を二つに裂き、半分を1人に、他の半分をもう1人に与えよ」(列王上3,25)というソロモーンの命令だ。これはどういう”発想”の知恵なのか?──これを考えるのも面白いが、今は問題としない。それはシバの女王が求めた知恵ではなかったらしいから。
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例によって mement mori さん 「シバの女王の絵画13点。イスラエル王ソロモンに難問を仕掛けた博識な伝説の女王」 mementmori-art.com/?p=331 ここに、シバの女王がソロモーンに期待した知恵の何たるかが挙げられている。

例によって mement mori さん
「シバの女王の絵画13点。イスラエル王ソロモンに難問を仕掛けた博識な伝説の女王」
mementmori-art.com/?p=331
ここに、シバの女王がソロモーンに期待した知恵の何たるかが挙げられている。
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ばかばかしい! と一蹴するのはまだ早い。例えばイソップ伝──「その当時、王たちは互いに平和を守り〔!!!〕、娯楽のためにお互いに理知的な問題を書き送り合っていた。これを解いた側は、約定により、送った側から貢祖を受けとり。そうでない場合は、同じだけの貢祖を提供するを常としていた」。

ばかばかしい! と一蹴するのはまだ早い。例えばイソップ伝──「その当時、王たちは互いに平和を守り〔!!!〕、娯楽のためにお互いに理知的な問題を書き送り合っていた。これを解いた側は、約定により、送った側から貢祖を受けとり。そうでない場合は、同じだけの貢祖を提供するを常としていた」。
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平和の内実が問題だが(謎々に負けた方は年貢を取られる。それは負けた方の人民に跳ね返って、結局、負けた方の人民は不幸になる)、戦争は回避できていることに注目すべきだ。ユダヤ4千年の暦に於いて、ソロモーンは最大最高の栄華を築いたことを否定することはできまい。

平和の内実が問題だが(謎々に負けた方は年貢を取られる。それは負けた方の人民に跳ね返って、結局、負けた方の人民は不幸になる)、戦争は回避できていることに注目すべきだ。ユダヤ4千年の暦に於いて、ソロモーンは最大最高の栄華を築いたことを否定することはできまい。
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とはいえ「謎々」で平和が保てるわけはない。「聖書ゆかりの遺丘群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバを構成する」遺跡からは、ソロモンが建てた馬屋の遺跡も出ているという(図)(ケラー『歴史としての聖書』)。「またソロモンは、彼の戦車のための馬屋4万と騎兵1万2千を持っていた」(列王上4,26)

とはいえ「謎々」で平和が保てるわけはない。「聖書ゆかりの遺丘群-メギド、ハツォル、ベエル・シェバを構成する」遺跡からは、ソロモンが建てた馬屋の遺跡も出ているという(図)(ケラー『歴史としての聖書』)。「またソロモンは、彼の戦車のための馬屋4万と騎兵1万2千を持っていた」(列王上4,26)
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[訂正]聖書引用は、『歴史としての聖書』の訳書では「列王記上四・二六」となっているが、誤り。 岩波版(マソラ正文)では列王上5,6である(七十人訳では「欠落」とある)。なお、「馬屋4万」というのは誇張表現で、歴代下9,25の並行箇所では「4千」。

[訂正]聖書引用は、『歴史としての聖書』の訳書では「列王記上四・二六」となっているが、誤り。
岩波版(マソラ正文)では列王上5,6である(七十人訳では「欠落」とある)。なお、「馬屋4万」というのは誇張表現で、歴代下9,25の並行箇所では「4千」。