非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile
非二元(ノンデュアリティ)bot

@non_duality_bot

非二元(ノンデュアリティ)に関する言葉を定期的に呟きます。

ID: 1047798003468124161

calendar_today04-10-2018 10:38:05

30,30K Tweet

1,1K Takipçi

922 Takip Edilen

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

多くの人々は幻想である"私"をなかなかを手放すことができません。 "私"の幸せを求め、解放(悟り)を求めているのに、その主体である"私"が消えてしまっては意味がないからです。 まさにジレンマです。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

"私"が苦しんでいるように感じるのですが、そもそも"私"自体が苦しみの原因なのです。 でもそれは幻想なので、実際は誰も苦しんではいません。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

幻想の"私"が生きる夢の現実では、喜びを求めて自分が何かを手に入れることに向かう動きと、苦しみとなる経験から自分を守ろうとする動きが常に繰り返されています。 この両方に向かう動きが探求です。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

引き寄せの法則などの本は、「もっと幸せになれる方法がある」「これをすれば幸せになれる」と呼びかけているので、"私"にとってこれほど魅力的なメッセージはありません。 しかし、幻想である"私"のストーリーを良くすることでは、苦しみから逃れることはできません。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

手放すことは、手放す必要すらも手放すことから始まります。 手放さなければならないという考えは、しがみつきながらコントロールしていることの現れだからです。 もし、今この瞬間に、しがみつくということが起こっているのであれば、それに対してすら抵抗しないことです。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

本当の自由とは、生がどのような現れ方をしていたとしても、生が今あるとおりにあるのを進んで受け入れることです。 逆説的ですが、全てを今あるとおりに完全に受け入れる時、新しい創造的な何かが生まれる空間が現れます。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

"私"は何かを手に入れることで幸せを手に入れようとします。 しかし、非二元のメッセージというのは、これとは全く逆です。 「個人としてのすべてを失い、あるがままの現実が現れること」 これが解放(悟り)であり、本当の幸せです。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

解放が起きた瞬間、自分以外の何かが"私"という存在はもともと存在していなかったことに気づきます。 "私"が消滅したことを知る存在さえそこにはもういません。 解放とは"私"の終わりであって、誰かが手に入れることではないのです。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

今起こっていることに抵抗したり、別の何かを求めようとしたりする試みは、不満の感覚を膨らませるだけです。 抵抗と探求が終わる時、問題は消えます。 今あるとおりの今この瞬間があるだけです。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

今この瞬間にどんな状態が起こりつつあるとしても、ただそのままにしておけるでしょうか。 そこから離れずに、今ここにあるものにどんな条件もつけずに耳を傾けるのです。 できるでしょうか。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

解放は、知識や理解でどうにかできることではありません。 しかし、探求者である"私"は「自分がどうにかすれば解放を手に入れられる」と信じています。 そして探求を止めることができません。 なぜなら "私"=探求 だからです。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

いろいろな経験は起こりえます。 目覚めの経験なども当然起こりえます。 しかし、解放とはその経験を気にする人の終わりです。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

全ては幻想であり、そもそも"私"は存在しません。 このことに幻想の"私"以外の何かが気づき、探求のエネルギーが消えたとき、全ては明らかになります。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

ただ現象があるだけの世界があります。 1つのエネルギーがいろいろな形として現れているだけ。 ただそれだけです、本当にそれだけです。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

"私"は探求を止められません。 "私"=探求 だからです。 "私"が消える必要があります。 しかし、その"私"は幻想です。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

幻想の"私"は、少しでも居心地の悪い感覚から逃れるために、何か自分を助けてくれるもの、自分のためになるものを常に探しています。"私"を幸せにしてくれるものを見つけようと必死で探求しています。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

解放とは"私"の終わりです。 これを聞くと、"私"は「解放なんて意味がない」と思うかもしれません。 しかし実際は、そう思っている"私"自体が幻想であり、もともと存在しないのです。

非二元(ノンデュアリティ)bot (@non_duality_bot) 's Twitter Profile Photo

今この瞬間にどんな状態が起こりつつあるとしても、ただそのままにしておけるでしょうか。 そこから離れずに、今ここにあるものにどんな条件もつけずに耳を傾けるのです。 できるでしょうか。