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日本史たん

@nihonshitan

地歴家の三女で世界史たんの双子の妹。山川出版社の詳説日本史Bを基にして、日本史っぽいことをつぶやくわ、あまり期待はしないでね。 間違いを発見した場合教えてくださると嬉しいわ。 私の事は、作者の趣味だとおもって頂戴。 暗記@nihonshikun

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linkhttp://nihonshitan.blog.fc2.com/blog-entry-1.html calendar_today10-05-2011 07:25:16

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弘仁・貞観文化の勅撰漢詩集は覚えておくべきよ。814年の『凌雲集』、818年の『文華秀麗集』、827年の『経国集』はしっかりね。

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平清盛は娘の徳子(建礼門院)を高倉天皇の中宮に入れて、その子・安徳天皇が即位すると外戚となったわ。それに不満をもったのは武士団や後白河天皇の皇子以仁王よ。治承・寿永の乱の後に、1185年・壇ノ浦(山口県)で平氏は滅亡するの。安徳天皇と以仁王は絶対忘れちゃダメね。

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蘇我馬子と聖徳太子は、仲良さそうに見えるの。仏教を広めたいと思う気持ちも同じだし、聖徳太子は馬子の甥だし…でも馬子の孫(蘇我入鹿)と聖徳太子の子供(山背大兄王)は戦うの。山背大兄王の母親は入鹿の父親の妹なのよ…でも山背大兄王は滅ぼされてしまう。ここら辺は系図を見ると楽しいわよ。

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白鳳文化で覚えておかなきゃいけないことは、興福寺仏頭と高松塚古墳ね。天武天皇に立てられた薬師寺も有名かもしれないわね。飛鳥文化と間違いやすいから、気をつけてね。

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上皇って良く聞くわ。皇位を後継者に譲った天皇のこと、というのは知ってるわね?上皇って、太上天皇を略したものだって…知ってた?ちゃんと教科書の最初に出てくるときは、太上天皇って書いてあるのよ。少し、楽しくなってこないかしら?

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現在までに日本列島で発見された更新世の化石人骨は、静岡県浜北人、沖縄県港川人・山下町洞人など、どれも新人段階のもの。これらの人骨の特徴は、横幅の広い顔で低身長、中国南部で発見された柳江陣に共通すると考えられていて、後の縄文人にも受け継がれてるらしいわ。

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10世紀の前半は醍醐・村上天皇が親政行い、のちに延喜・天暦の治とたたえられたわ。けれど、2人の間の朱雀天皇のときに藤原忠平が摂政関白をつとめ、政治の実権を握っていたの。村上天皇の死後は、源高明が左遷されて(安和の変)藤原北家の勢力は不動のものとなり、関白・摂政が常置になったわ。

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10世紀前半の醍醐天皇の時代は、延喜の荘園整理令をだし、六国史の最後である『日本三代実録』のほか、『延喜格式』や『古今和歌集』の編纂などが行われたわ。村上天皇も本朝十二銭の最後となった乾元大宝を発行したの。2人とも律令政治の復興に努めたけれど、結局治安の乱れは変わらなったわ…。

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御霊会というのは怨霊や疫神をまつるときの祭礼よ。政治的敗者などが祀られたわ。たとえば、桓武天皇の弟・早良親王や、大宰府に左遷された菅原道真などが有名ね。

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平氏・源氏といえば有名ね。まずは平氏が力をつけるわね。でもすぐに源氏の天下がくるわ。その次は北条氏ね。北条氏の先祖は平氏なの。つまり、平氏・源氏が現れてからしばらく交互に力が移り変わってるの。面白いわよね。

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約1万年余り前を境に更新世と完新世とに区分され、更新世は氷期が何回もあり氷河時代と呼ばれたの。そのため、日本列島はアジア南東部と陸続きになって北からマンモス・ヘラジカ、南からはナウマンゾウ・オオツノジカなどがやってきたのよ。

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白鳳文化で覚えておかなきゃいけないことは、興福寺仏頭と高松塚古墳ね。天武天皇に立てられた薬師寺も有名かもしれないわね。飛鳥文化と間違いやすいから、気をつけてね。

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平安京をつくった桓武天皇の時代、勘解由使という新任国司が前任国司からの解由状を審査をする官職ができたわ。嵯峨天皇の時は、秘書官としての蔵人頭、平安京の警察にあたる検非違使を設けたの。これらの令(大宝律令)に定められていない新しい官職を令外官と言うのよ。他にもあるから調べてね。

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律令制度が完成したころ、民衆には租・調・庸・雑徭などの負担が課せられたの。租は、男子1人に稲2束2把。租の他にも、国家が稲を貸し付けて、高い利息とともに徴収する出挙もあったわ。調・庸は、絹などの特産品を中央政府におさめるもの。雑徭は、国の雑用に年間60日間を限度に奉仕する労役よ。

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不比等の子4兄弟が病死した後、政権を握ったのが橘諸兄よ。吉備真備や玄眆が聖武天皇に信任されて活躍したわ。だけど、4兄弟の子が黙ってるはずないわよね。740年に広嗣(式家)が吉備真備・玄眆の排除を求めて大規模な反乱(藤原広嗣の乱)を起こしたの。結局、鎮圧されてしまうけどね。

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弘仁・貞観文化の勅撰漢詩集は覚えておくべきよ。814年の『凌雲集』、818年の『文華秀麗集』、827年の『経国集』はしっかりね。

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醍醐天皇の律令体制が崩壊していく時代、官職の地位に任じてもらうため朝廷の儀式などを請け負う成功や、再任する重任が行われたわ。国司になっても赴任しないで収入のみを受け取ること(遙任)も盛んになったの。

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天平文化の美術は、全部覚える必要はないわ。教科書の本文に出ていることを覚えれば十分。どれが塑像で、どれが乾漆像か。塑像とは何か、乾漆像とは何か。見た目からわかることもたくさんあるわ。色んな知識と組み合わせることでとても覚えやすくなるはずよ。

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鎌倉幕府の成立は、並び替え問題でよく試験にでるわね。物語として覚えておくことで大体は答えれるわ。寿永二年十月宣旨、守護・地頭の任命、征夷大将軍、これらの年を覚えておくと良いわよ。