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間枝(まえだ)

@mtnonoonly

諏訪信仰研究、古典文学研究(寺社縁起、神話) / アイコンは架蔵『千鹿頭神社事由』(神長官守矢実顕筆) / researchmap.jp/maedaryotaro

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calendar_today10-11-2018 21:22:45

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祠の破壊と言えば、諏訪には「守屋山の神を怒らせると雨が降る」という信仰があって、江戸時代には雨乞いの為に山頂の祠を谷底に落として神の怒りを意図的に引き出すということがあったそうですね。 近年では箕輪ダムの渇水のときに、祠を落とす代わりに花火を打ち上げて神を怒らせて雨を呼んだとか。

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守屋山は現在では「諏訪大社の神体山」とも言われます。 しかし昔はそうではなく、その名の通り「洩矢神」の山でした(山名も古い表記だと「洩矢嶽」)。 洩矢神は諏訪明神と戦った神話がある古い地主神・水神ですが、やがて物部守屋と習合し、山頂の祠も今は「(物部)守屋神社」と呼ばれています。

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諏訪信仰における鹿は、元々は人や神が食すものという位置付けだったと思いますが、 江戸時代には、農業の比重が相対的に大きくなる時代状況に伴ってか、諏訪社では「猪鹿の災を除く守札」を頒布するようになり、田畑を荒らす鹿の害から守ってくれる神としても諏訪明神は信仰されるようになります。

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幸いにも、『阿蘇家略系譜』等の系図の発見以降の現代(00年代以前)の諏訪研究の見解(「上社大祝諏訪氏は下社大祝金刺氏の分家」など)は当の諏訪地域でも一般の言説としては特に定着してはいないようですので、それが否定されても混乱はなさそうです。

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「諏訪明神vs洩矢神の神話」の古い姿を現存文献からわかる範囲でまとめると、このようなストーリーになると思います。

「諏訪明神vs洩矢神の神話」の古い姿を現存文献からわかる範囲でまとめると、このようなストーリーになると思います。
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洩矢神と戦った諏訪明神は「タケミナカタ」と言い換えてもいいのですが、 それはあくまで「諏訪で信仰されていた、天より降臨する諏訪神タケミナカタ」であって、 「"出雲から逃げてきた"というキャラ付けをされた『古事記』のタケミナカタ」ではないというところはポイントの一つとなります。

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諏訪明神タケミナカタは、天より降臨する際、「真澄鏡」「八栄鈴」「唐鞍」といった神宝を携えていたといいます。 天孫ホノニニギの場合の三種の神器、ニギハヤヒの場合の天璽瑞宝十種などに相当する、諏訪のレガリアです。 このうち「真澄鏡」は、諏訪の地酒「真澄」の名前の由来にもなっています。

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文献内には書かれていないのでただの空想ですが、明神と洩矢神が土地を引きあったというのは、ひょっとすると諏訪盆地や諏訪湖の形成を説明した神話でもあるのかな?と密かに思ったりもしています。 (プルアパートベイズンを知っていたわけではないでしょうが、それに近い神話的想像力の産物として)

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昔々、平安時代頃には、今の諏訪湖一帯&八ヶ岳山麓に加えて、上伊那の大田切川・三峰川(宮田村・伊那市)のあたりまでが「諏訪郡」でした。 中世の廻湛神事で神使が上伊那を巡ったのも、この地域が「諏訪」だった名残です。

昔々、平安時代頃には、今の諏訪湖一帯&八ヶ岳山麓に加えて、上伊那の大田切川・三峰川(宮田村・伊那市)のあたりまでが「諏訪郡」でした。

中世の廻湛神事で神使が上伊那を巡ったのも、この地域が「諏訪」だった名残です。
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大田切川は深い谷を刻んで人の往来を妨げる「田切地形」の一つで、方言もこの川を境に南北で大きく異なっていることが報告されています。 中世の田村麻呂伝説では、田村麻呂がこの川のあたりに来た(つまり諏訪に足を踏み入れた)とき、諏訪明神の化身が現れたと語られます。

大田切川は深い谷を刻んで人の往来を妨げる「田切地形」の一つで、方言もこの川を境に南北で大きく異なっていることが報告されています。

中世の田村麻呂伝説では、田村麻呂がこの川のあたりに来た(つまり諏訪に足を踏み入れた)とき、諏訪明神の化身が現れたと語られます。
幣束 (@goshuinchou) 's Twitter Profile Photo

地元に戻ってきているので諏訪を巡っているが、やはりすごい。数多くの祭祀に御柱が屹立している。

地元に戻ってきているので諏訪を巡っているが、やはりすごい。数多くの祭祀に御柱が屹立している。
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それにしても、この神話を見ていると洩矢神や諏訪明神は(少なくともこの話の中では)随分と体が巨大なのかなという気もしてきますね 国引き神話の八束水臣津野命もそうてすが

翁さん (@okina_san) 's Twitter Profile Photo

『藝能史研究』第247号に拙稿「多武峰常行堂修正会の〈翁〉―『常行三昧堂儀式』を中心に」が掲載されました。 [内容] 現在の能楽の「翁」は、神事的な演目として厳粛に執り行われます。一方で中世、多武峰で摩多羅神の御神前で演じられた「翁」は、とても賑やかで、笑いに満ちた芸能でした。続↓

『藝能史研究』第247号に拙稿「多武峰常行堂修正会の〈翁〉―『常行三昧堂儀式』を中心に」が掲載されました。
[内容]
現在の能楽の「翁」は、神事的な演目として厳粛に執り行われます。一方で中世、多武峰で摩多羅神の御神前で演じられた「翁」は、とても賑やかで、笑いに満ちた芸能でした。続↓
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滋賀県甲賀市に「神」(かみ/かむら)という地区があるのですが、 地域の信仰の中心が諏訪神社のようなので、もしかすると神氏・諏訪神党に由来する地名の可能性もあるのでしょうか?

滋賀県甲賀市に「神」(かみ/かむら)という地区があるのですが、
地域の信仰の中心が諏訪神社のようなので、もしかすると神氏・諏訪神党に由来する地名の可能性もあるのでしょうか?
読売新聞大阪社会部 (@osaka_syakai) 's Twitter Profile Photo

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