やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile
やすひろ@猫好き🐈

@yasuhistory

歴史を解説するYouTuberです!今年は主に大河ドラマ「べらぼう」の感想や補足説明と我が家のサイベリアン「との」についてポストします!※発信用アカウントなのでリプ返やフォローはしません🙇

ID: 1890276907364806657

linkhttps://www.youtube.com/channel/UCdJdGMPQMZo-b52xSyzKnGA calendar_today14-02-2025 05:48:37

110 Tweet

412 Takipçi

0 Takip Edilen

やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile Photo

一般的には、意知=意次のボンボン息子で、なんか殺されちゃった人。くらいのイメージしかないと思う それをドラマオリジナルの抜荷調査や誰袖との恋模様を通じてここまで魅力的なキャラにしたのだから、脚本家ってすごい だからこそ、意知の死がより辛いものになったわけだけど😇 #大河べらぼう

一般的には、意知=意次のボンボン息子で、なんか殺されちゃった人。くらいのイメージしかないと思う

それをドラマオリジナルの抜荷調査や誰袖との恋模様を通じてここまで魅力的なキャラにしたのだから、脚本家ってすごい

だからこそ、意知の死がより辛いものになったわけだけど😇

#大河べらぼう
やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile Photo

1780年と1786年の人別帳を比較すると、たった6年で農民人口が約140万人減ったことが分かります(当時の総人口は約3,000万人) 天明の大飢饉で亡くなった人が多かったことに加え、農村を捨て江戸に流れ着いた無宿人(人別帳に記載されていない人)が激増したことが原因でした #べらぼう #大河べらぼう

やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile Photo

佐野が切腹した翌日から米価が下がりました 当然、佐野が意知を殺したおかげではなく、偶然そのタイミングで幕府の策が効果を表し始めたと考えるのが自然ですが、世間は佐野を「世直し大明神」と神格化しました 結果、佐野の墓に大量の花や線香などが手向けられました #べらぼう #大河べらぼう

佐野が切腹した翌日から米価が下がりました

当然、佐野が意知を殺したおかげではなく、偶然そのタイミングで幕府の策が効果を表し始めたと考えるのが自然ですが、世間は佐野を「世直し大明神」と神格化しました

結果、佐野の墓に大量の花や線香などが手向けられました

#べらぼう #大河べらぼう
やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile Photo

わざわざ「松平武元」や「刃にも毒にも」という単語を出す=「お前が家基、武元、源内、意知を殺したと俺は知っているのだぞ」と言外に含ませたと個人的に感じた #べらぼう #大河べらぼう

わざわざ「松平武元」や「刃にも毒にも」という単語を出す=「お前が家基、武元、源内、意知を殺したと俺は知っているのだぞ」と言外に含ませたと個人的に感じた

#べらぼう #大河べらぼう
やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile Photo

ドラマでは説明されていませんが、意知が暗殺されたことで意知の長男の意明が意次の世継ぎになりました しかし、このとき意次は65歳、意明は12歳なので、意明がまだ若いうちに意次が寿命を迎える可能性が大でした こうして、田沼が2代にわたって幕政を主導するのは難しくなりました #大河べらぼう

やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile Photo

なんか湊源左衛門死んだっぽい雰囲気になっていますが、史実では1785年に幕府が蝦夷地に送った調査隊の相談役を務めているので、実は生きています笑 #大河べらぼう #べらぼう

なんか湊源左衛門死んだっぽい雰囲気になっていますが、史実では1785年に幕府が蝦夷地に送った調査隊の相談役を務めているので、実は生きています笑

#大河べらぼう #べらぼう
やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile Photo

個人的には、治済は意次の思い通りになりたくなかったのだと思う 治済は「意知が死んだことで意次は腑抜けになる」と期待していたけど、実際は「志は受け継がれる」と挑発された あれが悔しかったから、「蝦夷の上知?そんなの私にはノーダメージ」と意趣返ししたのだと感じた #大河べらぼう

個人的には、治済は意次の思い通りになりたくなかったのだと思う

治済は「意知が死んだことで意次は腑抜けになる」と期待していたけど、実際は「志は受け継がれる」と挑発された

あれが悔しかったから、「蝦夷の上知?そんなの私にはノーダメージ」と意趣返ししたのだと感じた

#大河べらぼう
やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile Photo

『江戸生艶気樺焼』は三度再版本が出るほど売れました また、この作品の影響で艶二郎のような団子鼻を「京伝鼻」と呼ぶようになり、吉原で遊ぶ勘違い客は「艶二郎」と揶揄されるようになりました 大ヒットに手ごたえを感じた京伝は、他の作品でも艶二郎やその息子を登場させています #大河べらぼう

『江戸生艶気樺焼』は三度再版本が出るほど売れました

また、この作品の影響で艶二郎のような団子鼻を「京伝鼻」と呼ぶようになり、吉原で遊ぶ勘違い客は「艶二郎」と揶揄されるようになりました

大ヒットに手ごたえを感じた京伝は、他の作品でも艶二郎やその息子を登場させています

#大河べらぼう
やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile Photo

後に黄表紙などを統制する松平定信は、むしろ私生活では文芸好きで、自ら『大名かたぎ』という大名社会を風刺する戯作などを執筆しています 戯作好きだからこそ、風刺や皮肉を敏感に察知できるし、本が社会に与える影響をよく理解していたのかもしれません #大河べらぼう #べらぼう

後に黄表紙などを統制する松平定信は、むしろ私生活では文芸好きで、自ら『大名かたぎ』という大名社会を風刺する戯作などを執筆しています

戯作好きだからこそ、風刺や皮肉を敏感に察知できるし、本が社会に与える影響をよく理解していたのかもしれません

#大河べらぼう #べらぼう
やすひろ@猫好き🐈 (@yasuhistory) 's Twitter Profile Photo

ドラマのイメージとは異なり、史実の松平定信は家格や官位を上げるために田沼意次など方々に賄賂を贈っています 定信は賄賂について 「自分は賄賂は嫌いである。しかし、今の風潮だから行わないのは愚かである」 と家臣に述べたと自伝に記載しています #大河べらぼう #べらぼう