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やさしい神様のお話bot

@qalamislam

『やさしい神様のお話』(編著者:ハビーバ中田香織・ハサン中田考)の引用をつぶやく設定のボットです。なお、当該書籍は、ムスリム新聞社により過去に発行され、品切れであったものが、2020年7月に百万年書房( @millionyears_bs )より復刊されました。

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calendar_today10-02-2015 06:27:53

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そうなったら、もうことばによる説明や裏づけに頼る必要はなくなります。 それから、ついには、確信そのものをじぶんのうちに見いだし、神さまとともにいるじぶんを、じぶんそのもののうちに消しさってしまうのです。そして、じぶんを消しさったところで、私は私に戻るのです。(9 信仰)

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欲望や悪のゆうわくという敵との戦いにおいて、神さまへの愛の中にじぶんのナフス(自我)を殺した人こそ、神さまのもとに戻った人です。(41 死ぬ前に死ぬこと)

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さまざまなものに気を取られてじぶん自身からおおわれた私たちに、じぶんが何者かを知ることはできず、まして、神さまを知ることはできません。なぜなら、じぶん自身を知った者こそがじぶんをいつくしみ、支えてくださる神さまのことを知るからです。(85 二重のおおい)

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死ぬ前に死んだ人(※さけられない死がおとずれる前に、じぶんから進んで死んだ人)は、神さまの地において、神さまへの信仰のあかしとして死んだシャヒード(殉教者)であり、気晴らしや娯楽にうつつをぬかしている人たちをよそに、えいえんの生を生きているのです。(41 死ぬ前に死ぬこと)

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神さまのほかには存在者はないにもかかわらず、その神さまとならんでじぶんが存在すると思うこと自体、神さまに赦〔ゆる〕しを乞わねばならない罪であり、それに匹敵する罪はないとすら言えるものです。(81 『アッラーのほかに神はないことを知れ、そして、おまえの罪の赦しを乞え』)

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ほんとうのじぶんを見いだすためには、他人からじぶんを解放しなければなりません。他人の目でじぶんを見るのをやめた時、私には私のほんとうの姿が見えてきます。じぶんと人をくらべてもしかたがないこと、私には私に神さまがくれた私の良さがあることに気づくのです。(4 他人からじぶんを解放…)

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確信のきざしをじぶんのうちに感じ取り、それを味わうことです。そうなったら、もうことばによる説明や裏づけに頼る必要はなくなります。それから、ついには、確信そのものをじぶんのうちに見いだし、神さまとともにいるじぶんを、じぶんそのもののうちに消しさってしまうのです。(9 信仰)

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私が、じぶんの行いによってではなく神さまによって、また、神さまの手にあるほうびではなく神さまを求めたとき、神さまのおきてはわたしにとって命令ではなく、神さまの証しとなります。そして、私の行いはすべて、神さまの定めたとおりのものとなります。(11 神さまの命令を守ること)

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神さまに近づいた人には、神さまがその人の耳となり、目となり、語る口となるからです。なぜなら、じぶんがなにものかを知ったその人に、もはやじぶんというものはないからです。(64 すべての動きは神さまのもの)

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じぶんの内と外のいっさいがっさいを神さまにゆだね、神さまを神さまからもほかからも求めることなく、神さまを求めることを止めてしまうのでもなく、求めるにしても求めないにしても、神さまになされるがままにおまかせするなら、神さまは私たちを神さまの近くに引きよせてくださるでしょう。(71)

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神さまのところには、神さまにつれていってもらわないと達することはできません。どんなに善いことをしても、また、どんなに敬虔な人に助けてもらっても、神さまにひっぱってもらわなければ、神さまにつうじる橋はわたれないのです。(11 神さまの命令を守ること)

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じぶんの心に生まれるどんなことも、じぶんが望むと望むまいとに関係なくすべて神さまによって作られるのだと知って、神さまにするように命じられたことや神さまのご意志にかなったことをしようという気持ちすらもなくしたとき、すっかり神さまにしたがった神さまのしもべとなったのです。(60)

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神さまはだれからもおおいかくされてはいません。なぜなら、なにかをおおい包むものは、それよりも大きくなくてはなりませんが、神さまより大きなものはないからです。(85 二重のおおい)

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おきてにかんする知識は、それが行いをともなわないものであれば、増えれば増えるだけ、ますます神さまから遠ざかり、ますます思い上がりの気持ちを強めるばかりです。人より物知りであることをじまんに思ったり、神さまのことよりも知識に心がとらわれるようになるからです。(16 知識を求める…)

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真実を知らない人は、なにをするにしても、じぶんと、じぶんの行いと、そして神さまと、三つをいつも一緒にならべるのです。でも、じぶんとじぶんの行いは作られたもので、神さまは作る方で、三つはならべられるものではないのです。(17 努力の人と恵みの人)

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神さまを知った人は、知った神さまに向かってじっと身をひそめることに夢中です。存在する人は、じぶんを存在させた神さまの存在の中に消滅することに夢中です。そして、その後ろには神さまがいて、しっかりとそれらの人びとを取り囲んでいるのです。(49 神さまをおそれ、神さまを愛し、…)

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神さまによって神さまを求める、とはどういうことでしょうか。もし、私たちが、この世とあの世のほうびがほしくて神さまにしたがうのだとすれば、もくてきは神さまではなく、神さまからのほうびです。神さまを求めるのと、神さまからのほうびを求めるのとは、別のことです。(11 神さまの命令…)

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いるということは、神さまが、それでいいんだよ、そのなりでそこにいたらいいんだよ、と許可証を出してくれているということです。それはつまり愛のしるしです。神さまが私を愛しているというしるしなのです。だから、いる必要のない人とか、まちがってそこにいる人とかはひとりもいません。(2)

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神さまが命令を発する世界、それは唯一の世界です。その世界を知ること、それが信じるということです。それは、理性や感性によって得られるものではありません。それは、信仰によってのみ得られるものです。(15 おきてと真実)

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欲望や悪のゆうわくという敵との戦いにおいて、神さまへの愛の中にじぶんのナフス(自我)を殺した人こそ、神さまのもとに戻った人です。(41 死ぬ前に死ぬこと)