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ファン・エイク兄

@ish69fsp

エピソードを多く取り上げ、歴史への興味と関心をもっていただきたいと思いました(流れをつかむ世界史)

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calendar_today21-03-2016 14:15:16

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選ばれた覇者は諸侯の前で牛の耳を切り、その血を回し飲みしたことから、「牛耳る」という言葉が生まれた

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朱温(黄巣の部下)は黄巣を裏切って唐についたため、唐から全忠の名を賜った(以後、彼は朱全忠を名のる)。この朱全忠が唐を滅ぼすことになる。朱全忠は在位5年でわが子に殺されている

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五行思想で漢(赤)を消すのは土(黄)であるということから、反乱の目印に黄色が使用された(黄巾の乱)

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我々は日常生活でサンスクリット語に起源をもつ言葉を使用している。とうさん・旦那・玄関・境内・鳥居・三味・あばた・かわら(瓦)などである。清涼飲料水のカルピスは、サンスクリット語のサルピス(五味のひとつ)とカルシウムの合成語だという

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この時代の小国に皇太子を溺愛した国王がいた。軟弱に育った皇太子を見て、彼が王になったら「なにもかも、休す(おしまい)」と思った。これから生まれた言葉が「万事休す」である

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マラトンとアテネの距離は約26マイルと測定された。1924年のオリンピック(ロンドン大会)で王妃のアレクサンドラがマラソンのスタートを城の窓から見たいと言ったことから、スタート地点を365ヤードのばしたという。26マイルに365ヤードを足すと42.195kmとなる

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彼は阿倍仲麻呂との交流で有名であり、仲麻呂が海に沈んだという知らせを聞いて詩を残している(実際は誤報であった)

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優秀な軍師を探していた劉備は、孔明を訪問して3度目にやっと会見できた(三顧の礼)。その後、2人は上下の身分をこえて厚い信頼関係で結ばれ、劉備はそれを水と魚との切り離せない関係にたとえた(水魚の交わり)

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汗血馬は天満ともいわれ、一日千里を駆けたといわれる。『三国志演義』に登場する赤兎馬は汗血馬をモデルにしているといわれる

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近松門左衛門は鄭成功の波乱万丈の人生を、『国姓爺合戦』という浄瑠璃に描いている。大阪の竹本座で上演されたこの浄瑠璃は、17ヵ月連続講演となるほどの人気を博したという

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安禄山の父はソグド人、母は突厥人で、彼は6つの言語をあやつった国際人であった。彼は大変な巨漢で、馬の鞍は巨大な腹を指さして、「そこに何が入っているか」と聞くと、彼は「陛下への赤心(まごころ)でいっぱいです」と答えたという

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護民官をスウェーデン語でオンブズマンといい、現代においてオンブズマンが行政を監視し、市民の利益を守っている

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ソロモン王は2人の母親が赤子の親権をめぐって対立したとき、「赤子を裂いて公平にわけよ」と命じ、「この子の命を助けてください」と叫んだ母親に親権を与えた伝説は有名である(ソロモン王の裁判)

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メッカ巡礼者は聖域の入り口で服や持ち物を預け、金持ちも貧しい者も同じ白い服装に着替えることになっている

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貧しい家庭に生まれた朱元璋は幼くして寺にあずけられた(親兄弟は飢饉で亡くなる)。乞食同然の托鉢僧をしながら飢えをしのぎ、紅巾の乱が発生する(1351年)と乱に参加し、頭角をあらわしたという

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始皇帝の父は大商人の呂不韋という説がある。子楚(始皇帝の父)が趙の人質の時代、呂不韋が可愛がっていた舞姫を譲り受けたとき、舞姫は呂不韋の子を宿していた。その子が始皇帝であったという(『史記』による)

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骨が発見された土壌を顕微鏡で調べた結果、花粉の化石が検出されたという。死者に花束をたむけた可能性がある