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北条宗源

@hojosogen5102

【創作武将】後北条家臣。旅日誌や御朱印、所持している刀剣に関して投稿中。
「命は義によって軽し。討死にして名を後記に留めん」
|#刀術|#刀剣|#御朱印|#寺社|#城跡|

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calendar_today25-11-2024 11:38:32

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相州住綱広の白鞘に 亀裂が入っていることに気付き、 懇意にしている刀屋さんに製作を依頼。 近年職人が減り、高齢化の影響もあって工期は3ヶ月のこと(昔は1.5カ月程) 木端巻で難しい注文を受けていただけるだけでありがたい。頭が上がらぬ。

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#韮山城|伊豆の国市韮山 もはや何度登城したか分からないお城。 北条早雲終生の居城。後北条の聖地。 本丸、権化曲輪の他に土手和田砦跡、追越山付城跡も当日巡りました。 更に険しい天ヶ岳砦には未だに挑んだことがありません。いつか装備を万端にして挑戦したいと思います。 #御城印

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そう言えば韮山城に設置されているのぼり旗は、なぜ赤地なのだろう🤔 法泉寺の北条早雲像が赤地旗を掲げているから。 綱高公の母君が外山豊前の娘なので韮山にゆかりがあるから。 特に深い意味はないのか。 どうでも良いことを考える。

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天文十一年の四月十日 北条氏康が鶴岡八幡宮大鳥居を造営。 ※氏綱が亡くなって半年余 現在鳥居は残っていないが、 可能性ある柱痕が発見されている。 「一切経」を転読。諸国の僧侶(高野山、鎌倉五山、南都七大等)衆、集まりて勤之。 氏康、嬉悦にて金銀、太刀、長刀、馬、鞍宝物を進せらる。

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相州住綱広の白鞘、 思いの外良木だったようで、新規ではなく仕上げ直しいただくことに。 費用も半分程度まで抑えられ、刀匠さんへの負担も減らすことができるという。

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金龍院住職様に 幻庵宗哲(北条幻庵)の大平屋敷跡と伝わる場所を教えていただきました。 その場所にはお堂があり、裏に石碑が見えます。 気になったのは何故か堂が石碑を隠すように建てられており、偶然なのか…違和感を覚えます。 畑があり私有地だと思われます。

金龍院住職様に
幻庵宗哲(北条幻庵)の大平屋敷跡と伝わる場所を教えていただきました。

その場所にはお堂があり、裏に石碑が見えます。

気になったのは何故か堂が石碑を隠すように建てられており、偶然なのか…違和感を覚えます。

畑があり私有地だと思われます。
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伊豆の穴場をご紹介。 金龍院から400m程度移動すると、 「#旭滝」があります。近くに高皇産霊神を祀る大平神社が佇みます。 水量は多くないですが、人工的に積み上げた石垣のような岩石が特徴です。 特に平日は人が少なく、静かで癒されますのでお勧めですぞ✨ 脇道に階段があり、次に続きます。

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旭滝脇道を登ると、江戸期に存在した瀧源寺跡と墓碑があります。 なんと今は廃止された普化宗のお寺です。 普化宗徒は「虚無僧」と呼ばれ、剃頭せず袈裟を掛け、編笠で顔を隠し、尺八を演奏しながら諸国を行脚します。

旭滝脇道を登ると、江戸期に存在した瀧源寺跡と墓碑があります。

なんと今は廃止された普化宗のお寺です。
普化宗徒は「虚無僧」と呼ばれ、剃頭せず袈裟を掛け、編笠で顔を隠し、尺八を演奏しながら諸国を行脚します。
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#旭滝 は金龍院、伝幻庵屋敷にも近い為、幻庵宗哲、長松院、青松院、兄妹で同じ風景を観ていたのかもしれないと思うと胸が熱くなります。お屋敷跡については、可能な限り調べてみよう。

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天正18年4月3日 豊臣秀吉による小田原城包囲戦が開始。 天正18年の今頃は包囲戦真っ只中。 五代記には籠城の様子が記されており、夜間警護に重点を置き、昼は碁、将棋、双六、茶湯、宴会などが許され、一生ここにいても退屈しなかったとある。 「籠城退屈なきように、 おもひ心々のなぐさみ仕べし」

天正18年4月3日
豊臣秀吉による小田原城包囲戦が開始。
天正18年の今頃は包囲戦真っ只中。

五代記には籠城の様子が記されており、夜間警護に重点を置き、昼は碁、将棋、双六、茶湯、宴会などが許され、一生ここにいても退屈しなかったとある。

「籠城退屈なきように、
おもひ心々のなぐさみ仕べし」
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御城印帳が全て埋まり、 以前購入させていただいた 大学製本所様の御城印帳を開封。 表は氏政公馬印の「钁湯無冷所」 裏は伊勢氏の対い蝶紋ですね。 しっかりした頑丈な作りで使い易い。 書紙が五色備カラーなのもP高い。

御城印帳が全て埋まり、
以前購入させていただいた
大学製本所様の御城印帳を開封。

表は氏政公馬印の「钁湯無冷所」
裏は伊勢氏の対い蝶紋ですね。

しっかりした頑丈な作りで使い易い。
書紙が五色備カラーなのもP高い。