古典雑学を呟く三日月宗近bot (@mikazuki_koten) 's Twitter Profile
古典雑学を呟く三日月宗近bot

@mikazuki_koten

おじいちゃんが古典文学を中心に知らなくてもいい知識を呟きます。創作ネタとしてお楽しみください。リプライは手動。アイコンは常時募集中。 保護者はこちら→ @kinu_kayanagi02 アイコン:伊勢(@000n00Ise_)様

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calendar_today01-04-2015 12:52:33

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古典にあって現代にない諺か? そうだなあ、「牛の鞦(しりがい)」などだろうか。鞦とは牛を車に繋ぐための紐のことだ。年寄りの言葉と牛の鞦は外れそうで外れない、などというな。俺は外す時は外すからなあ、まだそう年寄りではないのかもしれんな、はははは。

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平安の女性は眉を抜き、白粉を塗った上に眉墨で眉を書くのが身嗜みだった。『虫めづる姫君』では女房達が、化粧を嫌がる姫君の眉を「烏毛虫(かはむし)」つまり毛虫のようだと言っている。逆に細く美しい眉のことは「蛾眉」というのだ。どちらも虫ではないか……と言っては怒られるのだろうなあ。

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三日月の歌か……古今和歌集の「宵の間に出でて入りぬる三日月のわれて物思ふころにもあるかな」はどうだ? 「月」は「盃」との掛詞、盃が割れることから「われて」胸が潰れるほど恋しいという言葉を導き出す序詞となる。三日月は宵にちらりと姿を見せてすぐに沈むからな。

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茶の湯で出される菓子には、大きく二つの種類がある。濃茶の席では饅頭や羊羹など甘くて量のある主菓子を、薄茶の席では落雁や金平糖などの干菓子を出すのが普通だな。ちなみにこの茶は煎茶なので菓子は何でもよいぞ。美味い茶菓子があれば、とりあえず幸せになれる。

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罪と咎の違いは、その行為によってどのような報いを受けるかによる。法や戒律を犯し処罰の対象となるものが罪、処罰がなくとも他者から非難を浴びる対象になるものが咎だ。……さて、鶴丸国永、此度のおぬしはどちらだ?

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現代では犬は「わんわん」と鳴くそうだな。平安の頃は「びよびよ」と言っていた。猫は「ねうねう」で牛は「むうむう」だぞ。狐は……「こんこん」であったり「こうこう」であったり「くわいくわい」であったり様々だな。化かされたか?

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「我妹子が額の髪やしじくらむ怪しく袖に墨のつくかな」という歌がある。恋をすると額髪がちぢれ、思いを掛けられると袖に墨が付くという言い伝えだな。恋の為に顔を伏せてばかりであったり、ぼんやりして汚れに気付かぬということなのだろうが……これか、これは五虎退の虎が硯をひっくり返したのだ。

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物語などで己の心を託すのに、有名な歌を引用してくることがある。あれには一つ決まりがあって、言いたい本音の部分は言わぬのだ。例えば俺が「宵の間に出でて入りぬる三日月の」と言ったら、伝えたい部分はその下の句「われて物思ふ頃にもあるかな」だ。何故そちらだけ言うのかは、まあ、察してくれ。

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石切丸の祝詞を聞いていて思い出したのだが、「祓う」とは元々不浄や災厄を取り除く為に自分の持つ物を差し出すことをいった。素戔嗚が高天原から追放される際、髪や爪を切られたのもそれだというな。差し出すのは自分の物であれば身体の一部に限らず、刀・布・食品・馬・人形などでもよかったようだ。

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人の善行を妨げようとする悪魔を梵語で魔羅という。後には転じて煩悩のことも指すようになったのだ。そういえば元々は僧侶が使っていた語であったとも聞くな……うむ、何とは言わん。

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三日月の歌か。余り有名ではないが、宝治百首の「三日月のほのかに見てし面影を上の空にや恋ひ渡るべき」はどうだ? この頃の物語には、男が月下に女の姿を見て恋に落ちるという筋書きが多い。名も知らずに別れた女の面影を、男は月の光に求めるのだ。一目惚れ、というやつだな。

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月のものが辛いか。子を産むための血を穢れとする考えは後の世に強くなったもので、古代はそれほど厳しくなかったともいわれている。むしろ身体が人と違う状態、巫女として神の嫁になる期間であったというのだ。今宵あたり誰ぞ夜這いに来るやもしれんな、はははは。

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仏典では相手に賛同したり褒め称えたりする時に「善哉」と言った。訓じて「よきかな」とも読む。諸説あるが、正月などめでたい時に食べたので、祝いの意味をこめて小豆の汁を「善哉」と呼ぶのだというぞ。……時に、餅をもう一つ貰ってもよいか。うむ、よきかなよきかな。

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不如帰の鳴き声は知っておるか? 有名なものは「天辺かけたか」だが、「本尊かけたか」というのもあるな。江戸期の書物によると、江戸では前者、京では後者に聞きなすのが一般的だったようだ。

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気前よくもてなすことを「大盤振舞」というな。元の字は「椀飯振舞」だぞ。椀飯(わうばん)とは椀に盛った蒸し米のことだ。改まった行事の時に振舞われていたのだが、後には饗宴で他人をもてなす時に出されるようになり、もてなしそのものを表す言葉になったのだ。……もう一杯貰ってもよいだろうか。

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猫が年を経ると猫又になると言われているが、どのような猫がなりやすいかなどは書物によってかなり違う。和漢三才図会に曰く、暗い部屋で猫の毛を逆さに撫でた時に、光を放ち火を点したようになったら猫又になる兆候だというが……冬の景趣の時に獅子王と小狐丸で見たことがあるな?

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地震は古語で「なゐ」と言う。元々は地面を指す言葉で、その地面が揺れることを「なゐ振る」「なゐ揺る」と表現していたのだ。ちなみに鯰が暴れると起こるという話は江戸からで、それ以前は地底から生えた要石に日本を藤の蔓で繋いであると言われていたぞ。

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三日月の歌か。金葉和歌集の「宵の間にほのかに人を三日月の飽かで入りにし影ぞ恋しき」はどうだ? 愛しい人の姿を「見る」に「三日月」をかけた歌だ。三日月は宵の始めに出てすぐ沈むので、中々姿を見せぬ相手の例えにしばしば使われる。俺もそう簡単には……いや、きゃんぺーんがあったのだったか?

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「みどり」という色の語源は「芽出り」だという。本来はその名の通り、若々しく生命力に溢れた様子を表す言葉だった。若い娘の美しい髪を「みどりの黒髪」、生まれたばかりの赤子を「みどり児」などと言うこともあるな。時に石切丸、その「どっこいしょ」は大分年寄り臭いぞ。

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男色の起源とは、何処まで遡れるのだろうな。古事記には倭建命が熊曾建を討った際、女装して近付き「剣を尻より刺し通し」たとあるのだが、あれがそういう行為の譬喩であるとか、女装した宴の場で熊曾建にそういう行為をされた仕返しだとかいう説もあってな……