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カミーユ・サン=サーンス

@c_saintsaens

フランスの作曲家シャルル・カミーユ・サン=サーンス(1835-1921)です。私も流行に乗って始めてみました。およそ12時間おきにフォロー返しします。

ID: 440007245

calendar_today18-12-2011 13:11:20

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厳しい批評をするためには、好きではないものの価値を尊重することを覚えなくてはいけない。ヘンデルはグルックを、彼の料理人よりも劣ると思っていた。彼は、その作曲法の無能さしかわからなかった。その色彩も、劇的な力強さも、理解しなかった。これは、正当な評価とは言えない。

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ずっと、君からのお便りを待っています。今朝は、何か一言届いているかと思ったのに・・・―――待たせるね。 (フォーレに)

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とにかく、大作曲家というのはそんなにいるわけではないのだから、彼らをけなすことについては、他の人たちに任せよう。その場合でも、けなしっぱなしということはないだろう。…乱暴なことを言ったが、お許し戴きたい。毒舌は不治の病だが、これも私の熱意から来るものなのだ。

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演奏家の間では、終始、符号の解釈についての意見が食い違っている。ある人はこちらを好み、また別な人はあちらを好む…。しかし、これは好みの問題ではなく、知識の問題だ。唯一、作者が描こうとしたことを知る、ということなのだ。

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(付随音楽『誓い』Op.130には)エジプトの音階を用いてみたのだが、これは、私が流行に興味を示したということになるのだろう。両極端は相通じると諺にもあるように、古いものと新しいものは互いに一体化し合っているのだ。

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あ、指でちょっと、紙に、シミをつけてしまった。手が片方、インクで紫色になってしまったよ。紫色のインクは使っていないのに…。何か、交霊術でもほどこされてしまったみたいだ。

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ガブリエル、きみの『閉ざされた庭』には、確かに職人芸的な美しい詩句が並んでいる。しかし、所々わかりにくいところがあって、私には理解しかねるのだ。キリストは、「光が足りないのではなく、あなたの目が悪いのだ」と言ったが、私の場合も、謙虚に考えると同じことが言えるようだ。

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私が100年ほど前にピアノロールに録音した自作のマズルカが、動画共有サイトに投稿されているようだ。便利な時代になったね。youtube.com/watch?v=QNs6QD…

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ガブリエル、君を驚かせようと書いている作品は、相変わらず、まだ完全な状態にはない。だんだんと先が見えなくなっていきそうだ。それでもやはり、心から接吻するよ。もちろん、手紙の上だけのことではなく…。

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S・I・M誌がハイドン生誕100周年を祝うこと自体は全く好ましい!しかし担当者は、音符に名前を示した曲を求めてきたのだ。ところが、記譜法の中には、YやNの字が示す音など、断じて存在しない。知っているのは、A・B・C・D・E・F・G・Hの音だけなのだ。

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私はエコルシュヴュ氏に、YとNの音が果たしてニ音とト音を意味することが可能であるか立証して見せてくれ、と訊いたよ。同じことをフォーレ、君にも訊きたいのだ。これに応じたら、ドイツの音楽界に物笑いの種をまくことになりそうだ・・・。

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あなたにはあなたの考えが、私には私の考えがあります。私はあなたの考えを変えたいという意図は持っておりません。(ヴァーグナーをめぐる論争について、ヴァンサン・ダンディに)

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ラヴェルの弟子、ロザンタールが書いた本を読んだよ。ラヴェルは常に私のピアノ協奏曲第五番の楽譜を譜面台に立て、「まさにこの一曲の中にすべてがあるんだ。こんなにも少ない素材で、ここまで完璧な結果を引き出せるんだからね」と言っていたそうじゃないか。…少ない素材という部分が引っかかるが。

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歌劇においても、言葉の力は台本より音楽の中に潜んでいる。オルフェウスが言葉によってではなく、その歌によって復讐の女神たちをなだめることができたように。

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だが、オペラを見に来る聴衆は、どっちみち台本なんかに注意は払わないよ。だから、『リゴレット』や『トラヴィアータ』の翻訳のような、言葉と音楽がいつも矛盾し合う全く言語道断な作品に、堪えることができるどころか、それを見て喜び、それを求めることすらするんだ。