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偏見で語る三国志bot

@biased3594

完全に作者の偏見で三国志の人物とかについて勝手に語るよ。申し訳ないけど勝手すぎてあまり初心者向けではない気がする。一応演義は抜きでお話するのよ(≠すべて事実)。このアカウントからのレスは基本的にしませんがリプライは読んでいます。運営方針・参考文献→bit.ly/2b5QriO

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袁遺:袁紹・袁術の従兄だ。反董卓連合にも颯爽と参加し酒宴ばっかりして戦わず曹操に叱られているぞ! そして兵糧がなくなって軍を解散してる。後に袁紹から揚州刺史に任命されたけど揚州には袁術がいるのでバトルになり敗北、逃げた先で部下に裏切られて殺された。一応曹操は人物を評価している。

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曹丕:皇帝即位後のお話。曹丕が出かけようとして、馬を宮中に引き入れた。それを人相身の朱建平が見ていて、あの馬は今日死ぬ層が出ていると言った。曹丕がその馬に乗ろうとすると服に焚き込められた香の匂いを嫌って暴れ、最後には曹丕の膝に噛みついた。曹丕は超怒って即座にこの馬を殺したという。

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陳武:演義では顔が黄色く目が赤いとあるがアルコールの摂取のし過ぎで目が充血し黄疸が出ているんじゃないかとか言うのはやめてください! 彼の主君じゃないんですよ! なおこういう記述に目ざといのが三国志大戦であり、黄色い顔のリザードマンにされてしまっている。なぜリザードマンになるんだ。

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陸遜:元々は陸議という名前で字の伯言と対応してたけど孫権が懐柔するために孫姓をあげようと思ったら孫家より陸家の方が圧倒的にいい家柄なのでこうなる。子の陸抗が出世したのは孫権の死後。あと陸遜が孫権の書状を検閲してた的な話があり呉は孫陸二重帝国だったのではみたいなことを言う人もいる。

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馬日磾:蔡邕が董卓の死を嘆いたため王允に殺されそうになると蔡邕の史書は立派なものになるからと免罪を願うが蹴られた。「史書は国の大事なのに潰して長生きはできない」と発言し、その通りになった。その後袁術の広告塔にされて憤死。なのに孔融に袁術如きに媚びたと批判され国葬の予定を潰された。

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曹洪:張飛・馬超・呉蘭・雷銅らが下弁に攻め込んでくると、曹操は曹洪を派遣し曹休・辛毗を参軍として付けた。曹操は曹洪が金好きで女好きなことを心配して責任の重さを曹休・辛毗に言い含めたが曹洪は無事大宴会を催し半裸の歌姫に舞わせて楊阜に不道徳だと叱られて止める。曹休・辛毗は何してたの?

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mondで匿名メッセージ・質問を募集しています。何でも送ってね! #mondで質問募集中 こんな質問に回答しています ・姜維って横三とか演義とか読んだりゲームやっ… ・わたしは法正より性格が悪いので偏三さんが厄… ・散歩、なんかどうでしょうか‥日常で使う三国… mond.how/ja/biased3594

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董允:仕事熱心だがそれは脅されてのことかも知れない。出師表に「侍中郭攸之、費禕、侍郎董允らは先帝が選んで陛下に遺しました。彼らの意見を聞いてください。彼らが仕事をしないようなら董允らをぶっ殺して怠慢を責めてください」とあり、三人の中でも特に名指しで諸葛亮に脅されているのだ怖い

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鄧艾:軍人として有名だが内政でも大貢献している。寿春付近が水不足のため土地が肥沃なのに収穫が上がっていないと見抜き、水運の向上も兼ねて運河を整備せよと司馬懿に説き、『済河論』を著した。司馬懿はこれを良しとして計画を実行、淮南で軍兵を興すことが大いに容易になった。汝南の屯田民出身。

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典韋:死に様は演義より正史の記述の方が凄いかも。典韋隊は全員が一人で十人を相手にし、典韋が戟を振るうと敵の矛が十数本砕かれ、戟を失った傷だらけの典韋は敵を両脇に挟んで撃殺。最後には突進し数人を殺してから、目を怒らせて口を開け、大声で罵りながら死んだ。その死後も敵は怖くて遠巻きに。

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そういえばその後の話を聞いていないな、と思い調べたらその後の話を見つけられませんでした どうなっているのか…… その際見つけたひどい見出しの記事↓ afpbb.com/article… (残り53文字) #mond_biased3594 mond.how/ja/topics/89rt…

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三国志:単に三国志と書くと本来は陳寿が書いた歴史書のことを指すのだが、これをベースにした小説の『三国志演義』をベースにした吉川英治『三国志』が日本では大ヒットしたため今三国志とだけ言うと大体は「おはなしの三国志」を指す状態になっている。横山光輝の漫画も演義ベースで題名『三国志』だ

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審配:袁紹死後、大勢が袁譚を支持している中遺名を捏造して袁尚を押し立て後継者争いを生み出した疑惑がある。袁譚は審配(と逢紀)を傲慢で奢侈に耽っていると嫌っていたからだ。袁尚(君)が外征で審配(臣)が本拠防衛って普通逆だよね。でも死に方がかっこよかったので曹操が感動しちゃってさあ…

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戯志才:曹操の配下で豫州潁川の人。勿論荀彧に推挙されている。策略に優れた人物で、曹操も才能に惚れ込んで尊重したが早世した。荀彧に「策を相談できる人がいなくなった。彼の後を継げる人間はいないか」と頼み、郭嘉を紹介された。郭嘉が最初から紹介されなかったのはやっぱり品行問題からだろうか

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管亥:黄巾の指揮官クラス。北海相孔融が黄巾討伐で出陣し都昌に入城した所を包囲した。このピンチを救ったのは母親の面倒を見てもらっていた太史慈。弓の練習のため場外に出ることを繰り返し、相手が興味を失ったところで囲みを突破し平原丞劉備に援軍要請した。援軍が到着すると管亥軍は潰走した。

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城:中国の城≒都市。古代は都市=国家だったので、民を守るため都市の外側に主に土を固めて作った壁を作りこれを囲んだものを城という。ただ、都市が大きくなっていくと城の外に施設がはみ出したり城の外に集落があったりはする。日本でいう惣構。城壁の中に色々あるので、長期間籠城することが可能。

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鍾会:嵆康の家を訪ねると、嵆康は鍛冶をしていて、鍾会一行をスルーした。鍾会が帰ろうとすると「何を聞きに来たんだ? 聞きもせずに何を見て帰るんだ?」と言うので鍾会は「聞こえるものを聞きに来た。見えるものを見たから帰る」と答えた。双方大人げない。なおこの後鍾会は嵆康を讒言し死刑にする